考える葬儀屋さんのブログ 


お葬式の担当をしながら日々考えたことを書く葬儀屋さんのブログ。 葬儀費用が心配な方、 お葬式のマナーを知りたい方、 葬儀社への就職を考えている方、 エンディングノートに興味のある方 是非お立ち寄りください。
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考える葬儀屋さんのブログ:新着情報
  • 多摩大学大学院客員教授 紀平正幸氏が葬儀のことを全く理解していない件
  • 柳田国男の「葬送習俗事典」を読む
  • 監察医を主人公にしたドラマが始まるらしいです。
  • 葬儀業界の採用についてつらつらと考えてみる
  • 全葬蓮よ、覚悟はあるのか?
  • インドの転生輪廻
  • インド映画の散骨
  • 読売新聞系のWEBサイトの記事にもかかわらずR−18
  • 葬儀の設営・撤収時の靴はコレ
  • 2014年のフューネラルビジネスフェアから葬儀の技術革新を考える
  • 脱「死因不明社会」へ?

多摩大学大学院客員教授 紀平正幸氏が葬儀のことを全く理解していない件

今回ご紹介するのはこの本。
終の二択 ~定年からの取捨選択術~
終の二択 ~定年からの取捨選択術~ (ワニブックスPLUS新書)

紀平 正幸 ワニブックス 2014-06-09
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著者の紀平正幸氏が葬儀のことを全く理解していないので
指摘しておきます。

いまや終活ブーム。
そうなると当然玉石混淆の状態になるわけで。
紀平正幸氏は「石」の方。

著者の職業は心理カウンセラー、ファイナンシャルプランナー、客員教授。
肩書きだけ見ると終活を語るのに適任のはずなんですが
全体的にクオリティ低すぎです。

たとえば
前書きに氏の特徴が出ていると思います。
「ここで一つ忠告しておきたいことがある。
多くの人が「豊かさ」さえあれば「幸せ」を実現できると
勘違いしているという点だ。」

勘違いしているのは紀平氏のほうではないでしょうか。

多くの人は「貧困」は「不幸」だと思っているかもしれませんが
「豊かさ」さえあれば「幸せ」なんて、
高度成長期ならいざしらず
ほとんどの人がもはやそんなふうには考えていないでしょう。
にもかかわらず、世間を馬鹿にしたこの物言いなのです。

そんな紀平氏が
葬儀について述べるとこうなります。(P193〜)
葬儀を「挙げる」または「挙げない」?
盛大な葬儀なら故人は喜ぶのか

はっきり言わせていただく。
「葬儀」という名の″盛大な儀式”は不要だ。
身内だけで送る「家族葬」で十分である。
「はっきり言」っているところ申し訳ないのですが
葬儀屋さんがこの文章読んでも
何を言っているのか意味が分らないと思います。

彼の論理を分りやすく言い替えるとはこんな感じ。
「麺類という炭水化物の多い食べ物は不要だ。蕎麦で十分。」
ね、意味分らないでしょ。

「家族葬」は「葬儀」の一形態であるのだから
二択という相反する扱い方をするのはヘン。

まさか、まさかとは思うけど
紀平正幸氏は直葬を御存じ無いのでは?

葬儀をするしないの話なら
葬儀と直葬の二択でいいんじゃないの? 
また遺族からしてみれば、亡くなったことだけで悲しんでいるのに、
葬儀を行うことで、「誰を呼んだ」とか「誰に連絡しなかった」だとか
面倒なことが多々起こり得るのだ。
参列者を制限する家族葬の方が、
>「誰を呼んだ」とか「誰に連絡しなかった」だとか面倒なことが多々起こり得
可能性が高いんですけどね。

まとめの一文は 
もしどうしても盛大に行いたいのであれば、「生前葬」スタイルを選択し、
自分も参加者の一人になりたいものである。
なんで唐突にここで生前葬がでてくるんでしょうか?
これまで葬儀は面倒で金がかかるから止めとけという論理を展開しながら
普通の葬儀より面倒で金がかかる(だから実際誰もやろうとしない)
生前葬を勧めるのがさっぱり分らないんですが・・・
生前葬という言葉を覚えたので使ってみたかった?・・・って小学生か! 


今回は私の専門分野に限定して反論しておきますが
他の分野の記述にも?というところがたくさんありました
(宝くじを買えとか年金の繰り上げ受給はするなとか。
金融資産の計算方法も結構間違っている。)

私を含め読者はちゃんとお金払ってこの本買ってんだから
もうちょっとまじめに仕事しませんか。 


柳田国男の「葬送習俗事典」を読む

民俗学と言えばこの人
柳田国男の葬送研究をまとめた書籍が復刊と聞けば
これはもう買わないわけにはいかないだろうと。

葬送習俗事典: 葬儀の民俗学手帳

柳田 国男 河出書房新社 2014-07-15
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帯に「セレモニー関係者必携」と書かれていますが
あくまでコアなマニア向けですね。

私が楽しみにしていたのは
珍しい慣習の記述だけでなく 
「なぜ」こんな慣習が生まれたのか
の由来の部分。

とはいえ柳田国男が執筆した当時でも
なぜこうなったのか理由が皆目分らない
という習慣がけっこうあるみたいですね.

興味深いと感じた項目を少し挙げると
不浄縄 フジョウナワ 
加賀能美郡遊泉寺では、死体は真裸にして桟俵の上にあぐらをかかせて、
その上から縄で縦横十文字に固く、腕が体へめり込むほどに締めくくる。
この縄を不浄縄といい如何なる時でも、家に一把は欠かされぬとされている。
(中略)
かける役は近親者で、屍体の前面に立ち廻らずに縛る。
前面に立つと死人が鼻血を出すという。
抱き芋 ダキイモ 
越中上新川郡などでは、火葬する際に棺に山芋を入れて焼き、
それを食べると脳病がなおると謂う
あとは泣き女の項目も結構詳しいです。

 民俗

さて後書きで民族研究家の筒井功氏が述べていることに関して
ちょっと疑問を呈したい。

最近高知県の火葬場での拾骨を経験した際、
最初、立会に遺族二人が呼ばれその後二人で喉仏を拾うように言われたことから
これは「二人使い」と深いところで通底している
と結論づけています。

二人使いとはこの葬送習俗事典によると 
喪に入っての最初の事務の一つは、
一定の親戚へ知らせの飛脚を立てることで、
多く組合近隣の者がこれに任ずる。
この訃報に赴く者が二人であることは、不思議と全国に共通している。
何故に必ず二人行くかの理由は、
まだ名称の方からはこれを窺うことが出来ない。
(中略)或いは二人ということは忌の力に対抗する趣意とも解せられる。
上総の夷隅郡誌などによると、聞かせ人に限らず
葬儀の準備事務はすべて二人ずつ一組になってすると謂っている。

しかしこの結論は性急過ぎるのではないでしょうか。

最初遺族を火葬炉前にを呼ぶのは、
火葬炉から遺骨を出す際の本人確認をするのが目的でしょう。
このとき(特に地方では)遺族がたくさん集まると仕切りが大変になることが多いので、
人数制限を加えているに過ぎないと思うのです
だから二人ではなく三人呼ぶ火葬場もあれば遺族全員を呼ぶ火葬場もあります。
そもそも火葬場のオペレーションは、役人が運営サイドの都合だけで決めることが多いので
突然ヘンテコなルールを制定することが結構あります。

喉仏を拾うのが二人なのも、
一人だと遺骨を落としやすい、3人以上だと息を合わせづらい
以上の意味はないのでは?

どちらも「二人使い」をルーツにしていると言われても
ピンと来ないのです。 

だから「二人使い」と関係があると結論づけるためには
もっと現在の葬儀に対するフィールドワークが必要なのではありませんか?
柳田がかつてそうしたように。
田舎

さて
柳田の書いた前書きでは
葬儀は「その肝要な部分が保守的」と述べられています。
しかしこの本を読むと
かつての日本には地域による葬儀のバリエーションがかなりあった
と思わずにはいられません。

男性のスーツのように
100年変わらない絶対的な基本ラインがあるのに
(いや、あるがゆえにか?)
微妙な差異をあえて組み込み
逆にその微妙な差異を際立たせているかのような。

カソリックやイスラム文化圏の葬儀ではこうはならないでしょう。

その微妙な差異をあえて組み込むことで
狭い共同体のアイデンティティにしていたのかもしれません。


近年葬儀は多様化していると言われていますが
この本を読んだ後では
葬儀の情報化によって
むしろ葬儀は画一化してきているのではないか
とさえ思ってしまいます。
現在の状態がいけないとは全く思いませんが
遺品のディスプレイをやったくらいで
現在の葬儀は多様化していると葬儀屋が思い込んでしまっていいのか、
ということを考えました。

また
前書きの文末で柳田は 
日本の宗教研究なども、こういう国内の事実の認識を、
せめては外国学者の所説と同一程度に、
重んずるようになったらよかろうと思うのだが、
その機運を作るだけの力が、私たちの仲間に今まではまだ備わらなかった。
これが永遠の国の学問の姿ではなくて、
ただ単なる一過渡期の状態に過ぎなかったことを、
やがでは立証する日の到来せんことを希うの他は無いのである。
と述べています。
私が民俗学に疎いせいかもしれませんが
残念ながら流れは柳田国男の望んだ方向には向っていないように思います。
葬送の 自由をすすめる会の会長を務める宗教学者が
葬儀なんてやめちまえ、とのたまう御時世なので。


0葬 ――あっさり死ぬ

島田 裕巳 集英社 2014-01-24
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監察医を主人公にしたドラマが始まるらしいです。

先日
という記事を書きましたが
監察医を主人公にした
『ゼロの真実〜監察医・松本真央〜』
というドラマが始まるらしいです。
 

上記のサイトであらすじを見てみると・・・

>3年飛び級で法医学を学んだという才女。
美人監察医というのは実際に見たことありますが・・・
監察医不足の昨今、かっこいいイメージがつけば
監察医希望者も増えるかも・・・
と言いたいところですが、
現状は予算不足が原因の需要不足。
残念ながらあんまり影響ないでしょうね。
慌ただしく一日が過ぎようとしていた夕方、
死因に納得できないという遺族が押し掛けてくる。
遺体は、建設現場の足場から落ちたらしい中年男性の三神忠勝(斎藤歩)。
真央は、一日の疲れなど微塵も見せることなく、
とりつかれたように死因を調べ始める。
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
 
法律(死体解剖保存法?)飛び越えて
クレーマーの遺族の都合で動くって
どんだけアバウトな公的機関かと・・・
ドラマだから、と目をつぶりたいところですが
信じ込んでしまうリテラシーの低い視聴者が意外といるんじゃないでしょうか。
現実に弊害を及ぼしませんように。

それからでんでん
おそらく解剖のシーンのあるドラマにキャスティングしてはいかんだろう。
どうしたって「冷たい熱帯魚」を連想せざるを得ないですよね。

というわけで私は恐らく見ないと思います。


葬儀業界の採用についてつらつらと考えてみる

葬儀業界の採用についてつらつらと考えてみます。

7月8日の日経新聞に
「内定学生引き留め躍起」
 という見出しの記事が掲載されていました。

要約すると景気が上向いてきた影響で
内定辞退に人事は四苦八苦しているという内容。

葬儀業界でも少なからずありそうな話ですよね。
まぁ採用の段階からなかなか人が集まらないという問題が先にあるのですが
内定出しても、他業界から内定もらったとたんに
我に返ってやっぱり「普通」の職業に,などと言いだして。
煮え湯を飲まされている葬儀社も多いのでは。
面接1

ちなみに7,8社くらいから内定もらえる奴っていましたよね、学生の時。
スポーツも勉強もできて友達も多い奴。
そんな奴なら辞退されても
しょうがないとあきらめがつくと思われるかも知れませんが
そもそもそんな奴は最初から葬儀屋に面接を受けに来ない。
どうせ電通なんかにいくんでしょ(^^;)

むしろボーダーラインにいてどうしようかと
悩みに悩んだ結果思い切って内定出した子に
辞退されるとダメージでかいっす。

内定辞退するような奴、こっちからおこわり!
と言ってみたところで・・・
何社も落ちている内に弱気になって
正社員になれるんなら、葬儀屋でもいいか、
というようなレベルの人が面接を受けに来るのもやむを得ないと思いますし。
(もちろんそれを見抜いてお引き取り願うのが採用担当の責任ですが)

そう考えると(時期によりますが)
あえて1,2社かくらいから内定もらっている、と表明して面接にくる学生の方に
内定出した方が辞退率は低くなるんじゃないか、
と思うこともあります。

(本当の指標は内定辞退率ではなくて
入社してからの定着率なんですけどね。) 
面接2

さらに
これだけ不確定要素が高まると
そもそも葬儀業界で定着した新卒採用ってシステム自体どうなのか、ってことを
再考した方がいいのかな?

教育システムが確立していない葬儀社は
葬儀業界経験者を採りたがる。
でも 
最近は教育システムのしっかりしている葬儀社が多いから
他の葬儀屋のへんなクセがついた人を採るという弊害を避けつつ
人種のバリエーションを増やす目的なら
他業種の中途採用にも分がありそう。
新卒にこだわんなくてもいいのかな、なんて。

余談ですが
名古屋の葬儀社ティアの社長の冨安徳久さんは
他社のクセがついているから業界経験者は採らないと言っていましたが
http://megalodon.jp/2014-0713-2222-46/www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2009/11/post-67.html
↑このインタビューの後半)

(まぁ確かに冨安氏にはこういうところがあるけど、
それくらいイメージ戦略に長けているというのが私の評価です)

んーでもやっぱり、
内定辞退者が去った結果残った人材だとしても
まだ新卒採用の方がいいのかな。
もしくは折衷案か? 

採る側の悩みは尽きません。
内定を勝ち取る側もそうだと思いますが。 

ちなみに採用方法がおもしろいと思ったのは↓コムウェルさん。
よくよく考えてから好きなタイミングで来い、というシステム。

これって手間かかるんじゃね?
って最初思ったけど、
でも新卒とる時って
説明会やら各ポジションごとの面接やらで
結構コストかかるってことを考えると
この方法も悪くないよね。
この方法なら決心してから来てくれるはずだから
辞退率も低くなるはず。
ただ互助会さんだから
葬儀以外の業務(ブライダルとか)希望のスタッフが集まっちゃって
葬儀部門は苦戦しているのかもしれないけど。
面接3

それにしても
かつて私がそう思ったように
自分の親が亡くなった経験のある人は
葬儀業界で活躍できるのでは、って思わないのかな。
そんな境遇の大学生は確かに少ないとは思うけど
ただ親の世代が50〜60才だと考えると
親のどちらかが亡くなっている大学生って毎年1万人近くは居るはずなんだけどなぁ。
大切な人を亡くしたそういう経験のある人達こそ葬儀屋になるべきだと
私は思っています。

お待ち申しております。


全葬蓮よ、覚悟はあるのか?

いつの間にか全葬蓮(葬儀屋さんの業界団体)が
宣伝用ショートムービーを作成していました。
 


正直、ダメだと思います。

・演出のテンポ悪いです。3分はいりません。 

・葬儀屋役の演出が気持ち悪い
やさしそうとか知徳がありそうな人物、
の演出を目指したのかも知れませんが
ダウナー系のクスリやっているようにしかみえないんですけど・・・

・娘の亡くなり方が唐突。
あっ、と思わせる演出のつもりなのかもしれませんが、
見ようによっちゃ、「自殺」っぽいですよね。
その前のウエディングドレスのシーンで、
余命幾ばくもないってことを匂わせているのかも知れませんが
それにしては旅行したり、友達とはしゃいだり元気そうだし。
演出側はどういう解釈を望んでいるのでしょう。

実際のエピソードの再現映像ならともかく
創作で、それも葬儀屋が作らせた作品で
ウエディングドレスネタをやるのは
陳腐というか、恥ずかしくないのかと。
 
・YouTubeの全葬蓮アカウント上では
【感動CM】と銘打っています。
私は、葬儀屋が遺族のエピソードに便乗して軽々しく感動なんて言うな!
と考える人間です。
(参考記事:「感動葬儀」はいらない
全葬蓮と制作者はこれを「感動」だと思っているのかな。

あなたたちには
いしかわじゅんの著作から
この言葉を贈りたい。

秘密の本棚―漫画と、漫画の周辺

いしかわ じゅん 小学館クリエイティブ 2009-05
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ぼくは、いわゆる反戦漫画とか戦争漫画を、
あまり好きではない。だから、あまり読まない。
それは、その多くが、苦しいと描いてしまうからだ。
痛いと、辛いと、悲しいと描いてしまうからだ。
現実の大きさに甘えて寄りかかり、
表現することから逃げてしまっているものが多いからだ。
大きな事件があって、それを克明に描いていけば
物語の形にはなる。傷を負って痛いと描けば、
痛みはわかる。愛する人を失って悲しいと描けば、
もちろんそれは伝わる。

しかし、それは表現ではない。

常にリアルな死を見てきているはずの
葬儀屋が作らせておきながら
ゴールデンタイムのドラマのレベルで
安っぽく死を描いてはだめでしょう。

 「誰かを死なせる」だけなら、それは最もお手軽な表現です。
だからそれを使うときは、ましてや葬儀屋が使うときは、
よっぽどの覚悟が必要だと思うのです。

全葬蓮にはその覚悟があったのでしょうか? 


インドの転生輪廻

前回の記事(インド映画の散骨 )を書く際に
私のリフレッシュ法 の続き
と言う記事を読み返して気づいたんですが
 
「インドにも、転生輪廻や霊魂のような宗教的概念があることが分かって
興味深いです。」

って書いちゃってますね。

お恥ずかしい(>_<)

インドにも転生輪廻があるどころか
そもそも転生輪廻思想はインドが発祥だったんですよね。

複数の文献の聞きかじりをまとめると下記の通り。

インドの主な宗教は
バラモン教→(釈迦誕生)→仏教→ヒンドゥー教(途中イスラム教が流入)
という流れをたどっています。

インドの悪名高き身分制度カーストは
バラモン教の中で生まれています。
バラモン教はバラモン(司祭)を頂点とした生まれながらの身分制度を持ってました。
これがカーストの原型。
こういった生まれながらの身分制度を維持されるためには
転生輪廻の考え方が全員に浸透していないと成立しないのです。
つまり、おまえは前世でいいことをしたから良い身分、
悪いことをしたから低い身分という
転生輪廻に基づく因果律に全員が納得しているから
産まれながらの身分があるという社会制度が維持できたのです。
 
で、実は「転生なんてしない、これで私の人生終了!」
ってインドで初めて宣言したのが釈迦!
らしい。

でも大乗仏教は転生輪廻思想をもっているのでは、
と言う意見も当然あるかと思いますが
正直、大乗仏教と釈迦本来の思想との間に連続性を求めるのは
個人的にどうかと・・・
大乗仏教って、そんなもんだから、
としておいた方が葬儀屋さんである自分としては違和感がないのですが・・・
誤解のないように申し上げておくと
もちろんだからといって大乗仏教ダメ、とは全然思ってません。
このあたりは別の機会に詳しく。

前述したように以上の話は複数の文献の聞きかじりなわけですが
一番分りやすく解説しているのはこの本かな。

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫) 橋本 治
宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

橋本 治 筑摩書房 1999-08
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by ヨメレバ

オウム事件を受けて書かれたものですが
なかなか挑戦的でおもしろい内容です。
ちなみに橋本氏はかなり仏教思想に詳しい。

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

末木 文美士 新潮社 1996-09-02
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by ヨメレバ

この本の後書きを書いているくらいだし
文中に出てくる著者の友人H君て橋本治のことだと思うのですが・・・

宗教なんて怖くない、に関してはまた別に記事を立てたいと思ってます。


インド映画の散骨

以前
と言う記事でシャールクカーンディーピカ主演の
「om shanti om」   というインド映画の傑作を取り上げました。

by カエレバ

 
そしてまたコンビ復活。
Chennai Express 


 (ちなみに途中で出てくる顔を塗った人が踊っているのは、インドの民族舞踊カタカリダンス。
出演者が履いている巻きスカートみたいなものは男性庶民がはくルンギと呼ばれる服) 
 
日本では未公開です。
輸入DVDで見ました。

今回は「遺骨」がマクガフィン(ストーリーを推進させる小道具)の一つになっています。
(遺骨がマクガフィンの働きをする映画って
私が知る限り「裸足のピクニック」がそうだったと思うのだけれど)

祖父の遺言が南印度の海に散骨してくれ、だったため
遺骨を持って南印度に向かう主人公が途中ヒロインと出会って、
巻き起こるドタバタ劇・・・・
というコメディ映画。

我々日本人のイメージするインド人の散骨って
ベナレスで火葬後、ガンジス川へ
という認識が一般的ですが
インドにも海に撒きたいという発想があるんですね。

もちろん日本のように海上に出て撒いたりするはずもなく
波打ち際でバサーッってやってますけど。

映画のデキに関しては
南印度のカラッと乾いてカラフルな画面の質感は独特で
すごくいいです。
ただし
南印度の人(タミル語文化圏かな)にヒンディー語が通じない、
ってところが笑いを生む構造になっているはずなんですが、
全部英語字幕で表記されると、そのあたりのおもしろさは伝わってこないです。
脚本もイマイチかな。 
 
まぁ、個人的にはディーピカが踊ってくれればそれでいいんですけどね(^^;)


読売新聞系のWEBサイトの記事にもかかわらずR−18

読売新聞系のWEBサイトの記事にもかかわらず
R−18(未成年お断り)でお願いします。


確かに霊安室不足というのは都市部ではけっこう深刻だと思います。
感覚的には、東京より、火葬場に霊安室を併設していない横浜の方が
不足感が強いですね。

さてこの記事の冒頭で紹介されている施設について。
遺体を安置し、遺族も宿泊できる施設
同市中心部にある6階建ての施設は、ビジネスホテルのような外観。
↑うまく書いているけど、ここはもともとラ○ホテルだったことで有名。
Googleマップにはまだ当時の画像が残ってます。

だから建物や運営会社の名前が「関係」を意味している、なのかどうかは不明。

これが館内の画像

うーん、ロビーとお風呂は改装した方がいいような・・・
オープン当時の画像はたしかお風呂が7色にライトアップされてた記憶が・・・

あっ、余計なお世話でしたね。

でも今、日本でもっともエロスとタナトスを具現化している場所だと思うので
がんばってください!

(数少ない若い女性読者が減ってしまうかもしれないのに
ツッコミを入れずにはいられない自分の性(さが)が悲しいです。) 


葬儀の設営・撤収時の靴はコレ

葬儀の際の設営・撤収時に履く(個人的に)良い靴を見つけたので
ちょっとご報告。

葬儀屋の皆さんは設営・撤去時に履く作業用靴と、式中に履くフォーマルな靴を
使い分けていると思うんですけど・・・

いや、みんながそうじゃないのは実は知ってます。
博善の式場(都内の火葬場併設の式場)に行くと
作業時に履いていたボロボロの靴で式についている葬儀屋さんを見かけますので。
(私はそういう現場に新人を連れて行くとき、
靴のきれいな葬儀屋の動きを見習え、と言います) 

私はずっと使い分けてたんですが
作業用に使うジョギングシューズタイプのスポーツ系の靴って
ヒモがほどけるときもあるし、
ちょっと履いたり脱いだりの時に手を使って
踵の部分を拡げるアクションがめんどうと思ってました。
たとえば寺の本堂の飾りの時とか。
踵をつぶしてスリッパ状態にして履いている人もいますが
見栄えが悪く、脱げやすくて危ないです。

スポーティな動きができて
手を使わずにサッと履いたり脱いだりできて
黒い靴がないかさがしていて
見つけました。

VANSのスリッポン 

これなら手に荷物を持った状態で
靴を履いたり脱いだりがスムースにできます。
あと、かさばらないので持ち運びが楽っていう利点もあります。
(商品にリンク貼ってますけど
靴はネットではなく店舗で実際に履いてから
買うことをおすすめします。
私はABCマートで買いました。
本当はソールが全て黒のが欲しかったのですが
踵に赤いマークが入っているのしか無かったのがマイナス1ポイント)
 
あとは汚れにくいように、靴を下ろす前に
防水スプレーをたっぷり塗れば完璧。

by カエレバ


2014年のフューネラルビジネスフェアから葬儀の技術革新を考える

2014年のフューネラルビジネスフェアから葬儀の技術革新を考える
という大層なタイトルですが
実際の所は今年のフューネラルビジネスフェアをぷらぷら見て回りながら
思った雑感です。

葬儀業界以外の方に説明いたしますと
フューネラルビジネスフェアとは
年に一度行なわれる葬儀業界の見本市です。

葬儀業界ってハード系の新商品の提案が難しいといつも思います。
全く新しいカテゴリーを提示しても消費者はついてこれないし。
ニーズを細分化しすぎると商売にならないし。

「おもしろいけど、これ売れるのかなぁ?」っていう商品が
結構ありましたね。
となると有望なのは
全く新しいカテゴリーの商品というよりも
他業界で商品化された技術革新を葬儀のシステムと掛け合わしたBtoBもの
ということになりましょうか。

案の定、
販売システムと連動したタブレット
が、がんばっておりました。
ただこれね、
タブレットの視認性がお年寄りに対して
今ひとつ優しくないっていうのと
システムを全部相手(システム業者)に委ねると
商品入替えの時のシステム変更に時間やコストがかかってしまって
活動のスピードが落ちてしまう、
という危険性は認識しておくべきでしょうね。

売り込む方は、「これからはITですよ、社長!」的な感じで
やってると思うんですけど。

タブレットはPDFデータを見せるだけの
アプローチブックと割り切って使った方がいい
と個人的には思っております。

あとは画像(≒ディスプレイ)系です。
某企業のブースにあった、焼香台に故人の遺影が浮かび上がるのは
「おおっ!」って思いました。
でもこれって焼香以前に遺影は祭壇にあるわけですし
お年寄りを驚かせそうでちょっと(^^;)
まぁ作った方も、あくまでテスト運用だとおっしゃってましたしね。

全体的に目につくのは
遺影を液晶にして大型化・高精度化してみたり
数を増やしてみたり、背景画像を投影してみたり・・・
まぁキレイなんですけどね

でもこの方向は、違うと思うのです。

以前こういう記事を書きました。

かつてソニーがゲーム機プレイステーション3を出して
高画質高性能路線を推し進めていたときのことです。
ゲームに詳しいラジオパーソナリティ伊集院光が
「昔の粗い画面の方が、想像力で補足する必要がある分
リアリティがあった」
という主旨の発言をしてソニーの方針に反対を表明していました。
私も8bit時代からのPCユーザーであったので、
その気持ちはよく分かりました。
遺影

おそらく遺族や参列者が本当に必要としているのは
遺影ではなくて
「各人の頭の中にある故人の良き想い出とそれにまつわる感情」
なのではないでしょうか。

遺影はその想い出を立ち上げるトリガー(きっかけ)であれば良いので
これが高精度になろうが、動き出そうが、ホログラフィーになろうが、
結局行き場のないテクノロジーを使ったオーバースペックに過ぎないと
私は思うんですよね。

最終的に映画「ストレンジ・デイズ」で登場したような
感情の追体験ができるマシーンが現実化するところまで行き着けば
また話は違ってくると思いますけど。

さて最後に私の考える技術革新は何かというと
ハイレベルのスタッフをたくさん生み出せる教育システム
だと思ってます。
これが確立できれば
葬儀業界で一番の技術革新になると思っているんですが。


脱「死因不明社会」へ?

(どちらかというと葬儀業界向けの記事です。)

約一年ほど前こういう記事を書きました。


さて現在はどういう動きになっているかというと


変死臨場86・8%全国4位(徳島県)
(↑うまくリンク貼れなかったんで、文末に引用記事を載せました)

そりゃ臨場(検視官が立ち会うこと)は少ないより多い方がいいと思いますけど
結局解剖しないんなら、死因解明の精度も限度があり
世間に対するただのアピール目的ではないかと。
この読売徳島版の記事もその文脈に、まんま乗っているわけですが・・・
この記事「進まぬ新法解剖 人材難で思惑外れ」によると
徳島の解剖件数はたったの9件ってことになっているんだけど)

べつにこれ警察が悪いんじゃなくて
予算はあてがわれないわ解剖医はいないわ、
でも殺人を見逃すなって言われたら
とりあえず検視官が立ち会うってアピールをやっとくしかないんじゃなかろうか。

昨年施行された
第十四条  政府は、警察等が取り扱う死体の死因又は
身元を明らかにするための措置が円滑に実施されるようにするため、
必要な財政上の措置を講ずるよう努めるものとする。
そう言われても罰則のない法律って、自主目標みたいなもんですからね。
 
死因解明の将来はあんまり明るいとは言えないですよね。

死因不明社会2 なぜAiが必要なのか (ブルーバックス)

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で、次善の策として解剖ほどの精度はなくても
Aiやったらどう、と言う話が出ているわけです。


どうやら、りすシステムを中心動いているみたいです。
「本業」とはあまりリンクしそうにないですね。
かといって慈善事業ってわけでもないでしょうし・・・

このサイトを見てよく分からないのが
顧客は誰?
ということ。

(予算の問題を置いとけば)やりたがっているのは行政なんだろうけど
いまのターゲットは
死因を知りたい遺族、
らしい。

でも病死なら病理解剖だし、(病院不信でセカンドオピニオンってことか?)
遺族が死因に疑問持ってるような状況なら
東京都監察医務院が無料で行政解剖コースだしなぁ・・・

てことは、これ、神奈川県に作るべきじゃないかな?
○○さんの検死よりずっと信頼度高いでしょ。
<読売徳島版の記事より引用>
 ◇昨年の県警検視官、県外事件の見逃し教訓
2014年06月07日 
 変死体が発見された場合に県警の検視官が現場に行く「臨場率」が、高い割合で推移している。昨年は86・8%で、全国47都道府県警で4位。今年3月末現在では、前年同期比11・8ポイント増の94・6%となっている。遺体や現場の状況から事件性の有無を判断する役割を担うとともに、遺族の「なぜ死んだのか」という問いに答える検視官。笠井祥資上席検視官は「犯罪を見逃さないためにも、今後も怠ることなく取り組んでいきたい」と話す。(苅谷俊岐)

 検視官になるには、検視の実務経験を積んだ警部以上で、警察大学校(東京)で法医学の専門的な研修を受けることが必要。県警の検視官3人は捜査1課に所属し、昨年は変死体1030体のうち894体、今年は3月末までに、298体のうち282体を扱った。

 全国でもトップクラスの臨場率を誇るが、10年前の2004年は45・3%で、07年には31・7%にまで落ち込んだ。現場に到着した所轄捜査員らから電話で連絡を受けて現場の状況などを聞き取り、事件性が低いと判断した場合は現場には行かなかったためだ。

 しかし同年、暴行を受けて死亡した大相撲の力士が病死扱いされ、09年には鳥取県と首都圏で連続不審死事件が表面化。いずれも検視官が現場に行かず、事件性を見逃していた。

 このような状況を踏まえ、徳島県警は電話で判断するこれまでの方法を見直した。09年には臨場率が50・1%と、記録が残っている04年以降で初めて過半数になり、10年には全現場に行くことを原則として82・2%に上昇。11年度から2人だった検視官を3人に増やすなど体制を強化した結果、12年には87・7%になった。

 笠井上席検視官は「検視官には、現場で初動捜査の指揮をとり、正しい方向性を示すことが求められる。経験を積んだ警察官しかなれず、若手の捜査能力を上げることにもつながる」と、臨場率向上の意義を強調する。

 警察庁の有識者研究会は11年、「臨場率100%を長期的に目指し、当面は50%を目標とする」との提言を出した。県警の捜査関係者によると、臨場率100%にするには、離れた地域で同時間帯に変死体が見つかることを想定した場合、現在の倍以上の人員が必要になるという。
 ◇メモ 全国都道府県警の平均検視官臨場率は、2008年までは10%台前半の低水準で推移。警察庁の有識者研究会の提言を受けて増加し、13年は全都道府県警で50%を超え、平均は62・7%になった。同年で臨場率が一番高かったのは鳥取県警の97・8%。2位が沖縄県警の93%、3位が高知県警の89・9%と続き、最も低いのは広島県警の51・0%だった。