本日ご紹介するのはこの本
「葬儀秘録」

著者の略歴はこんな感じ。(一部伏せ字にしました)
「名古屋市生まれ。メモリアルプランナー。子供服で知られる人気アパレルメーカーに勤務のち、大正13年から続く老舗の葬儀社に転職、セレモニーホール○○殿を運営する株式会社○○本店の本部長を務める。1級葬祭ディレクター。」

この「葬儀秘録」の本の帯には
週刊ダイアモンドの葬儀社ランキングで「愛知県No.1」葬儀社
の文字が・・・
イヤな予感(^^;)

で「葬儀秘録」を読み終えた感想ですが
(この本を読む限り)失礼ながら私はこの著者とは一緒に仕事をしたいとは思いません。
またこの葬儀社で働きたいとも思いません。

そういう評価なので、この本をわざわざ紹介する必要はないのですが、この本を読んだ一般の方が
葬儀屋ってこの程度なんだ
と思われたらちょっと不本意なので、この場で批評する次第です。

まず最初のエピソードは

「葬儀の集金に行ったら、お客さんが支払ってくれなかった。会社にそのことがばれるのがイヤで、自分で葬儀代金200万円を立て替えた」

ちゃんとした社会人ならこんなことはやってはいけない、
ということが分からないのでしょうか。
従業員がこういう隠蔽(いんぺい)行為を行うというのは、
社内にそういう「空気」があるってことです。
隠蔽することで、問題が共有できないから改善が永久に行われません。
そしてこのような組織は従業員の個人レベルで隠蔽できない問題が発生したときは、
今度は外部、つまりお客様をだますのです。

(30代40代が亡くなることを例に出して)
化学調味料登場前の世代とでは、身体の
成り立ちが全然違うそうです。当然、お亡くなりになる順番も、年功序列ではないのです。」

またいい加減なことを言う(>_<)
簡易生命表の死亡率を見てください。
完全に年功序列です。

「お通夜が終わった後、祭壇が倒れてしまった。その後、後片付けを始めたスタッフの動きが素晴らしかった」

この人の葬儀屋としての矜持(きょうじ)は一体どこにあるんでしょうか。
祭壇が倒れるなんてあり得ないです。
辞表ものです。
後片付けの動きが素晴らしいなんて・・・
ポイントがずれてます。

「100キロオーバーの故人を、男性スタッフ4人がかりで持ち上げることができず、タンカを地面に置いて引きずった」

そんな軟弱なことで良く葬儀屋が務まりますね。
私はデッドリフトで100キロを持ち上げることができます。
自慢ではありません。
成人男子がウエイトトレーニングを続ければこれくらいは難しくありません。
仕事で背筋の筋力が必要だから、日頃鍛えているのです。プロなら当然です。

「入社してから2週間目で初担当。着物を着せる際、故人の小指を折ってしまった」

いい加減な育成システムの葬儀社です。

「直葬」に関する考え方・表現もヘンです。

・「なんだか魚でも焼くみたいな感じで、そこに心を込めることができるのだろうか」
・(直葬を選んだお客様に)「後悔されますよ」とひと言、説明をつけさせていただきますが
・「あとで絶対に後悔をします。」
・「どこかで勘違いされている方も多いので」
・(たばこのポイ捨てを例に出して)「後味の悪さが、尾をひきます。直葬が、それです。」

一体彼(著者)は何様なんだろう。
無礼を承知で申し上げますが、直葬を選んだあなたのお客様が満足していないのは
あなたが葬儀担当者としてレベルが低いからではないですか?
祭壇などのハードや読経という装置がない直葬は、
葬儀担当者の存在がむき出しになります。
だから葬儀担当者の善し悪しが直葬の評価に直結します。
直葬でも担当者のホスピタリティやスキルを発揮する機会はいくらでもあります.
当然顧客満足を与えることは十分可能です。

本音としては安い葬儀は儲からないからイヤなのでしょうか?
しかしその一方でお金が無い人の葬儀を無料で行ったというエピソード
「いい話」として紹介されます。

それもおかしい。

自分の仕事に矜持があるなら無料でやってはいけません。
プロとしてレベルの高い仕事をして、適切な対価として報酬を受け取るべきです。
これは全然「いい話」なんかじゃないです。

(タダでお葬式をしたい方はこの本「葬儀秘録」を持参してこの葬儀屋さんを訪れてはいかがでしょうか?)

初対面の遺族に向かって
「私をただの葬儀社の人間だという接し方をしないでください。私は葬儀を良く知っている遠い親戚の者だと思ってください」
これまで何百という葬儀の担当をしてきましたが、必ず言ってきました。

これは図々しいと思います。
「葬儀を良く知っている遠い親戚の者」として、遺族に思われたいというのは構いません。
それを会ってすぐに遺族に要求するという神経が私には理解できません。
そういうことは仕事ぶりで語るべきではありませんか?
葬儀が終わって
そんなとき、私は「今日で私はみなさんともうお会いしません。もう私のことをいっさい忘れていただきたい」と言います。「私もみなさんのことを忘れますので、今日でさようなら」そう言って帰ります。
だってそうでしょう。私は葬儀社の人間です。
葬儀社といつまでも知り合いでいることや、次があること自体よろしくないことです。私と繋がっていることは、良くないことだと思います。
困ったときだけの山田でありたい。何かあったときだけ、山田を思い出してくれればいい話です。
平静は、山田がいたことなど思い出して欲しくないのです。
やっぱり楽しく明るく生きてもらいたいと思います。
私はこの考え方に同意できません。
この人、失礼ながらやっぱり葬儀屋としての矜持が足りないと思うのです。
「葬儀はイヤなことであり、葬儀屋はイヤな存在であり、肉親の死をきれいさっぱり忘れることが、幸せ」という考え方が根底にあるからこんな言い方になるのではないでしょうか。
心のどこかで葬儀屋のことを卑しいと思っているのではないですか?

申し訳ないですが、
葬儀が終わって数ヶ月経って、故人の死を悲しみながらもそこから立ち直ろうとしている様子がつづられている手紙を御遺族からもらうのは
自分が葬儀屋をやっていて良かったと思う瞬間です。

それにしても名古屋で葬儀屋さんが書いた本が続けて出版されたのは
 ティアの冨安氏 の影響でしょうか。
しかし一柳氏の本といい、この「葬儀秘録」といい
後追いで本を出しといて、
冨安氏の著作と比べて格段に低レベルだと思います。
そしてそのことに無自覚なのが致命的。

この「葬儀秘録」を読むと
名古屋でティアさんが躍進を続けている理由がなんとなく分かる気がします。

追記
著者として本を出版した以上、
本の購入者に作品を論評されるのは当然予想されていると思います。
しかし一方で本職の物書きでない人にとって、
いろいろ論評されるのは厭なものだというのは私も十分理解しております。
この文章は別に著者を困らせることが目的ではありませんので、
要望が有れば希望箇所を削除するのはやぶさかではないことを、
お断りしておきます。


<2011年01月18日>記載