以前ご葬儀のご依頼を頂いた方から、再度ご葬儀の御依頼を頂きました。

今回亡くなられたのはおじいちゃん、
前回亡くなられたのはそのお孫さんのA子さん。
当時大学生でした。

お伺いしたときはA子さんのご両親に出迎えられて。

直接お会いするのはほぼ10年ぶり。
数年前A子さんが好きだったミュージシャンがCDを出したとき、
御霊前に、ってお送りして、
丁寧な御礼の手紙をいただいたことはあったけど。

「歓迎」という言葉は、この状況に似つかわしくないけど、そんな感じ。
「ねぇ、○○さんが来てくれたわよー」ってお母さんに呼ばれて、
笑顔で登場したお父さんが、こんなに良くしゃべる人だって事をはじめて知った。
憔悴しきって泣いている姿しか存じ上げなかったので。

必然的にA子さんの話になって。
「A子は多分、このあたりで聞いてると思うよ」
と天井を見上げながらお母さんが笑った。

葬儀屋である自分の存在が夭逝した娘のことを思い出させてしまうかも、
と気を遣う葬儀屋さんもいると思う。
その心遣いはいいことだけど、
遺族にとっては葬儀屋さんを見て思い出すようなレベルの話じゃない。

担当したお葬式が終わって何年経っても、
気持ちのどこかにずっと引っかかっている喪家がいる。
だから久しぶりにお会いして、こんな会話ができると、ほっとする。

でも、その振る舞いが私に対する遺族の気遣いでもあるってことも心得ている。

多分、日常のいろんな瞬間に、
無意識のうちに故人のことを考えはじめて止まらなくなる、
そんなことを数え切れないほど繰り返して今日に至っているはず。
それはこちらも分かっているつもり(あくまでも、つもり)。

そうと分かってはいても、私と遺族は滅多に会わないからこそ、
限りなくウソに近いほんの少しのこんな時間を過ごすことを許されてもいいはず、
と思う。

そんな瞬間がないと遺族の人生も、葬儀屋の仕事もちょっと辛い。

この時間は、がんばってお葬式の担当をした
私へのご褒美だと思うことにした。


<2011年04月30日>記載