今回ご紹介する本は
佐藤友之
「いずれオサラバする僕の、弔いについて―葬式に関わる、いくつかの気がかり」
です。
いずれオサラバする僕の、弔いについて―葬式に関わる、いくつかの気がかり
いずれオサラバする僕の、弔いについて―葬式に関わる、いくつかの気がかり佐藤 友之

三五館 2011-05-23
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「死体の経済学」と一緒で、一言で言うと
葬儀(葬儀屋)嫌いの不誠実なライターが適当に書いた本
です。

自分と意見が異なるのは当然構いませんが
(それにひどい葬儀屋・僧侶が存在するのも事実ですし)
それにしてもあまりの事実誤認の多さに辟易しました。

でも今回は指摘せずにスルーするつもりでいました。

理由は
・私もそこそこ忙しい(^_^;)
・この本売れていないからたいした影響ないだろう。
(発売1ヶ月が経過しているがアマゾンのランキングも低いし、書評も見かけない)
・著者は高齢で病気を患っていらっしゃるそうなので、
批判しても後味悪そうだし

というわけで、イライラしつつも読むだけにしておこうと思っていたのですが・・・

しかし最後の方に書かれているこの文章を読んでしまったので・・

「葬儀にたずさわる人たち(つまり、葬儀社の従業員など)ですら、宗教心はきわめて希薄。そうでなければ、仏教葬をやった翌日、無宗教葬はもとよりキリスト教葬や天理教葬などの葬儀は、なんのためらいもなくできはしまい。(183ページ)

ハイッ、炎上フラグ立ちました。
私が葬儀業界を代表して、お灸をすえてやります。

以下本文を抜粋しつつ(斜字の部分です)、批評します。
引用文最後の()内の数字は掲載ページです。
炎
セレモニー化した葬儀に違和感を覚えるのである(10P)

「セレモニー化した葬儀」ってよく聞く表現ですが、
セレモニーを和訳すると「儀式」なんだから、
葬儀がセレモニー化するのは当たり前でしょ。
「PINGPONG化した卓球」って言い方が意味不明なのと一緒で、おかしい。

それを言うなら「ルーチン化した葬儀」っていうべきでは?


彼ら(葬儀屋)らは毎日のように儀式をこなしているのだから、必然的に形式化、セレモニー化する。(11)
申し合わせた時間内に出棺させるのが、司会者の腕のみせどころなのである。
だれもが同じ思い、同じこころざしで司会しているのだから、葬儀はいやでも似たようなものになる。
ベルトコンベアに乗せられたように、滞りなく進められていく。(12)


司会の原稿量は最初から決まっているので、
司会で時間調整などほとんどできません。

それとも早口で読むとか?エミネムかよ。

出棺時間を決めるのは遺族とスタッフとの綿密な打合せです。
「葬儀はいやでも似たようなものになる。」
っていうけど、ならないよ。

亡くなる方は毎回違う
んです。

葬儀屋さんはいかにその人らしい葬儀を行うかに、智恵をしぼってるんですが。


「日本の火葬場は火力が弱いらしく、大きな金属類は副葬品にしないでくださいと、(火葬場から)注意を受けています」(ある葬儀社の女性社員)(16)

金属類を入れてはいけないのは、お骨を汚す可能性と、
火葬炉を傷める可能性があるから。
日本の火葬場の火力は別に弱いってほどじゃないし、
そもそも火力の強弱とは関係ない話です。


仏教はどうだろう。
よほど精通していないと、宗派の特徴なんてわからないのではあるまいか。
キリスト教ほど明確な違いはないし、「葬式仏教」といわれ、葬儀のときに接する宗教でありながら、宗派による違いははっきりしていない。
日本人の宗教心が希薄、だからだろう。(18)


宗派の違いは存在します。
その差異が大きいと感じるか小さいと感じるかは個人差の問題ではないでしょうか。 
仮に違いがないとしてその理由がなぜ
「日本人の宗教心が希薄」だからなのか?
飛躍しすぎでは。

そもそもなぜ同じ仏教から派生しているのに
宗派別に「明確な違い」が必要なの?

本願寺派の僧侶が袈裟着てたら、
大谷派は全身に金粉ぬって登場しないといけないの?


広範囲の僧侶と連携していないと、商売に支障をきたす。
たとえば、東京の足立区や葛飾区に提携僧がいるけれど、世田谷区や多摩地区にはいないと
しよう。足立や葛飾の僧侶をいちいち連れていくのは容易でない。僧侶がいないばかりに依頼を断る、ということになりかねない。(22)


足立区の僧侶を世田谷区に呼ぶことなんていくらでもありますよ。
そもそも地方の菩提寺が上京するケースなんていくらでもあるのだから。
僧侶がいなくて依頼を断る葬儀屋さんがいるとは思えないですが。


日本人が僧侶に払う10万円は、カンボジアでは四、五人の家族がゆうに半年暮らせる金額だ。
それをボンと投げ出す日本人。「日本人はわれわれの想像以上に豊かだ」というカンボジア人の評価には、痛烈な皮肉が込められているようだった。(24)

貨幣価値と物価が異なる国の、異なる財と、サービスを同一視点で比較してもしょうがない。
カンボジアで1ヶ月間メイドを雇える金で、日本人はハンバーガーを1個買っているのは馬鹿だ、
という議論には何の意味もありません。

別のページでは葬儀の原価計算程度で、ご大層にも「葬儀経済学」って言葉を使っていらっしゃるのも、ちょっと恥ずかしい。



遺体はひとつの商品として扱われているのがみえてくる。(27)

私はご遺体が商品と思ったことは一度もないですけどね。
そもそもご遺体は、葬儀社が提供する財やサービスではないので、
モラル云々以前に、「商品」という定義がおかしい。

ちなみに私は、葬儀社の商品は「人材」だと思っています。


「通夜」の文字どおり、昔は夜を通してすごした。
いま葬儀業者たちは死者と最後の食事をするとき、と位置づけている。
一晩中つきあわさせる
(原文ママ)のはかなわないということだろう。(56)

我々葬儀業者がいつ、通夜を「死者と最後の食事をするとき、と位置づけ」たのか。
そんなことは言っていない。
それから、我々は当直で徹夜だってするのだから、一晩中つきあうのは、「かなわない」事じゃない。
そもそも遺族が故人とともに大切な時間をそっと過ごすのが通夜の目的なら、葬儀屋がいたら邪魔じゃないの?


葬儀は「セット葬」と「特別葬」の二つに分けられる。

そんな話、初耳だけどね。


「散骨」の制度は日本にもあるが、日本では遺骨のごく一部しか流せない。
形だけできるようになっているだけ。(72)


またもガセネタ(>_<) 日本でも全部散骨できます。


棺が欲しければ、どうしたらよいのか。試行錯誤の末、葬儀社に頼むしかないのに気づく(72)

その前に、普通にインターネットで買える、ってことに気づいたら?
御高齢だからインターネットのことは知らない、で済むとでも、お考えでしょうか?


(棺を購入したいと「仏具屋」さんに電話をかけまくって)
一方的に電話を切る店が少なくなかった。
不愉快な思いをしただけに、印象に残っている。(73)

なんで葬儀屋に電話しないで、わざわざ仏具屋さんに電話するかな。
例えば、火葬場に電話して、仏壇売ってくれ、って言って引き下がらなかったら火葬場の職員も不愉快になるよね。
それと同じ。

おまけに最初から買う気がないわけだし。
悪意のある冷やかしもいいところ。
相手を不愉快にしていることに気づかずに、
自分は不愉快な思いをしたと主張する。


どんな葬儀をするか、わたしの田舎では、同じ部落の人たちが決めた。いま思い返すと、いいシステムである。喪主の経済状態まで、周りが掛酌して決める。喪主は余計な神経を使わなくてすむ。(76)

私も自分の体験を申し上げる。
私の父は地元の名士だったので、周囲に盛大にお葬儀をやらされて、まだ学生だった私は非常に困った経験がある。
田舎の仕組みも、いろいろある。


(葬儀屋が病院と癒着することについて)
体制が整うと、企業として十分成り立ちます」と、ある葬儀社の社長は語っていた。
病院専門の事務所を構えたとしても、採算は取れるそうだ。葬儀関連会社にとって、
病院は仕事の重要な供給源なのである。


いまどき、病院用に事務所を構えて、黒字を維持できるところなど、ごく一部でしょう
業界に批判的な一部マスコミですら
病院営業が成り立たなくなっていることを指摘している。


葬儀でやっかいなのは多くの場合、口頭でしか会場を伝えられないことだ。
(110)


明治時代かよ。
今や口頭の方がめずらしい。


喪主となるべき人が日本を離れている間に、家族が死亡したような場合、このエンバーミングが役立つ。ただし、日本の技術は世界のレベルからはるかに遅れていて、ある種の病気を抱えていた故人には通用しなかったり、効果はいまも述べたように、わずか一週間程度に限られている。
ヨーロッパ、とくにロシアの技術はすすんでいて、レーニンの遺体はいまだにガラスの棺に納められていて、昔の風貌をいまなお保っているとか。(111)


IFSA(日本のエンバーマーを中心とした団体)の方聞いてますか?
この人訴えないと。
エンバーマーの技術が日本に導入され始めた頃は(10年くらい前かな)
欧米人エンバーマーが施術の中心だった。
その当時と比較しても今の日本人エンバーマーの技術が劣っているとは思わない。
むしろ化粧のきめ細かさなどは、日本の方が勝っていると思う。

効果が一週間なんて誹謗中傷もいいところ。
やろうと思えば2ヶ月でもできるが、
遺体の硬化の問題があるので、そこまでしないだけ。
火葬まで5日ほど日にちが空いているなら、状態が1週間しか持たないように必要最低限の薬剤を使用し、硬化を最小限にとどめている。

レーニンの場合、
もはやエンバーミングというカテゴリーでないように思うが。

あっ、もしかしてこの人マルキストなのかな?
であれば唯物主義なのも一本スジが通るけど・・・


たいていの火葬場は遺体保管室を用意している。(中略)。時期によっては冷凍保管にしなければならない。(113

保冷はしても「冷凍」なんかしない。
凍傷で皮膚を傷める危険性がある。


東京都は骨壺の購入を義務づけている。(118)

購入を義務づけているのは都内の民間会社の運営する火葬場のほう。
都営の火葬場は骨容器の持ち込みを認めているので、
容量など条件を満たせば自作の壺を持ち込んでもいい。



一人で来た弔問客は腰を下ろしにくい。だからこそ、弔問客の大半は帰途につく。葬儀社の発案なのだろうが、通夜振る舞いもまた、手の温もりを奪っ
ているようでならない。(127)

通夜の料理は葬儀社の発案じゃないだろう。
もし葬儀社が勝手に需要を作り出せるなら、
関東だけでなく関西でも通夜の料理を盛り上げて、
ポピュラーにしたはずだから。

それから通夜の会食は「温もりのある」時間なんだよ。
葬儀屋憎けりゃ、やること全部いやなんだろうけど
まぁ、この記事(通夜の時間)読んで。


葬儀自体は、「自治体葬」を使えばもっとも安くあがる。(133)

ものの提供だけで、人的サービスのないケースが多いことに注意。



とくに生花の値段は、気候によって極端に上下動する。
今年は安くとも、来年はどうなるか。
生花祭壇でもつくるつもりなら、花の値段は葬儀費用全体を左右する。
(159)


時価の祭壇なんて、ねぇよ。



イスラム教は厳しい戒律を設けている。一日五回の礼拝、酒、豚肉を含むハラーム(タブー)食品の飲食禁止など数々の戒律は、アラビア語を知らずに理解できない。つまり、よき信者になれない。既成仏教にはいわゆる在家信者に対して、そのようなきびしい戒律はほとんどまったくないに等しい。(185)


教科書的にはその通りだけど、
お祈りもろくにしないし、
酒を飲むイスラム教徒を個人的には何人か知っているけどね。
(島田裕巳氏の著作にも同じ事が書いてある)
フェイスブックで(特にアジア圏)みれば分かるけど、国によっては、
けっこうみんないい加減だよ。
キリスト教でも信仰の深さはピンキリなように、イスラムもいろいろ。

一元的な物の見方で
信仰心が薄いといって、日本人を卑下することもないと思うんだけど。


日本の「友引」のような忌み日はない。「友引」は仏教上の習慣であり、
ヒンズー教はとらわれるはずがない。


六曜と仏教は関係ない。
日本人の宗教に対する無知をあざけっておきながら、これは恥ずかしい

炎

さて、ここまでお読みいただいた方、お疲れ様です。
私も疲れました(^_^;)
これでも、全部じゃないですけどね。

私のスキャナーと文字認識ソフトが高性能で助かりました。


さて、冒頭の暴言にもどります。


「葬儀にたずさわる人たち(つまり、葬儀社の従業員など)ですら、宗教心はきわめて希薄。そうでなければ、仏教葬をやった翌日、無宗教葬はもとよりキリスト教葬や天理教葬などの葬儀は、なんのためらいもなくできはしまい。(183ページ)


よく考えてほしい。
そもそも宗教に対する造詣がなければ、
各宗派のお葬式の担当などできない。(自分もまだまだ勉強中だけど)
我々がいろいろな宗教のお葬儀を担当するのは宗教心が希薄だからではない。
(ちょっときれいな言い方で少し照れるが)
遺族を少しでも癒(いや)せるなら、
使えるものはどんなものだって使いたい。
その一つが宗教なのだ。


悲しみにうちひしがれている人に対して、自分と信仰が違うから、何もしない
というのが、人として正しいのか?

さて最後に著者のテーマへの意見です。

著者は宗教を信じていない。
だから、葬儀はしなくていい
と考えている。

考え方や価値観は人それぞれだから、
これはこれで別にかまわないと思う。

故人が信仰のない人の場合でも、私は良いお葬式(直葬)を執り行ってきた、
という(少し思い上がった)自負があるし。
僧侶がお経をあげている時間だけが葬儀じゃない、とも思っているし。

ただし文中に
信仰を持たない先輩が亡くなり、身内だけで直葬を行った、
後日、故人の偲ぶ友人達がお別れ会を開いたとき、
飲み屋で行われたのがイヤで お別れ会を欠席した、
というエピソードが描かれている。

その頑(かたく)なさは、人生を豊かにしないと思う。

自分の人生は自分だけのものではない。
自分を慕ってくれることを拒否する権利などない。

別にお葬式はしなくていいから、
そのあたりに少し思いをはせてもいいんじゃないかな。


<2011年06月29日>記載