さて一方で葬式仏教界。
(念のため断っておきますと、私は葬式仏教という言葉をネガティブな意味で使用していません。
参考記事:お坊さんについて
 
葬儀業界同様の情報の非対称性の問題も確かに存在しますが
スィッチングコスト(心理的な物も含む)が大きいため「ホールドアップ問題」が発生し
競争原理が働きにくいのが葬式仏教界の問題の一つ。

 もしあなたが法外な御布施をふっかけるなどの理由で今の菩提寺の住職が大嫌いで
別の僧侶に葬儀のお勤めを頼みたいと思ったとしますね。
そうすると、菩提寺は納骨(お墓に遺骨を納めること)を断る、
などの報復行為をちらつかせるでしょう。
それに対してあなたが断固NOを貫き通そうとするなら、
菩提寺と檀家の関係を解消し 
現在の墓を更地にして返し、
先祖のお骨を収める墓を新たに探さなければいけません。
ここで、「時間」と「手間」と「お金」というコストが発生します。

それが先祖代々続いている墓ならば
その歴史の積み重ねの重みを断ち切る精神的なパワーが必要で
さらにストレス、つまり「心理的なコスト」が発生します。

つまりこれら四重苦というべきスイッチングコストの負担が大きすぎるために
他の選択肢を選べないホールドアップ問題が生じている、
というのが
葬式仏教界に競争原理が働かない一つの理由。
(葬儀社が葬儀費用の打合せの段階で強気に出れるのは、
故人の病院からの搬送が終了している、
つまり役務の提供がすでに一部行われているので、
半ば「ホールドアップ」状態だから、とも言えます。
しかしこれは消費者の思い込みで、
ホールドアップの途中解除はそれほど難しくありません)
木魚

一方で檀家が少ない、もしくは持っていない僧侶は、
お葬式での読経依頼を受けて
そこからのお布施が主要な収入源になっています。
しかしこれは明らかに供給過多です。
この崩れた需給バランスにより僧侶らの賃金=御布施(←この表現もお叱りを受けるんでしょうが、あくまで経済活動の一つとしてとらえます)は下落しつつあります。
(参考記事: お経はバズワードである

これが
墓を持たない人(=ホールドアップ問題が生じない人)が多い都市部で
御布施の値段が下がり始めている原因の一つ。

というわけで葬式仏教界全体から見れば御布施の金額は
葬儀費用ほどでないにしろ、ゆるやかに下がっています。

つまり
ホールドアップ問題と
需給バランスの崩壊という問題が存在しているのが
現在の葬式仏教界。

需給バランスの崩壊は、市場原理に任せておけば淘汰によって
いずれ適正化されるので、特に問題はないと私は考えています。
もちろん収入源を失う僧侶にとっては死活問題ですが、
資本主義経済の元で生きる以上仕方がありません。 

一方で
遺骨を人質に取った「ホールドアップ問題」に関して
うまい解決策は、ちょっと思い浮かばないです(>_<)

消費者が仏舎利信仰や先祖供養信仰から
少し唯物論寄りになれば、解決するかなとも思いますが
私自分自身がそんなパラダイムシフトを受け入れられないんですよねー。
(参考記事:お墓の思い出


<2013年02月20日>記載