後輩のために教育用のツール(資料)を作る機会が多いのですが、
問題が2つ。
 
‘睛董,
∋箸辰討發蕕┐襪
という二つの問題です。

,量簑蠅箸いΔ里呂修鵑覆貌颪靴ないのです。

グーグルのサービスと一緒で、まずはβ版をリリースする。
改善点の報告が使った人から上がってくるので
ブラッシュアップはたやすい。

ただしそれは△量簑蠅鬟リアしていればの話。
そう、やっかいなのは△痢峪箸辰討發蕕┐襪」

ここで頭を悩ますことが多いのです。

なんで使ってくれないんだろう・・・
本

教える側もいろいろ勉強しているので
クオリティがだめなはずはないのです。
全体の2割には好評だし。
というか葬儀業界内でも出色のでき、くらいに思ってるんだけど・・・
自分が新人の時欲しいと思った資料を提供しているので
喜んで使ってもらえるはずなんですが・・・

そりゃ確かに考え方は人それぞれだけど
読みもしないってどうゆうことよ、
ってスタッフに腹を立ててみたり。

私は新しい携帯電話を買うと、まずマニュアルの目次をザーッと見て
使えそうな機能に○を付けておくタイプ。
「どのように」はともかく「何が」できるか、の全体像は把握しておく。

一方、マニュアルに頼るのはいけない、とかどうとか言って
トリセツ(取り扱い説明書)を絶対読まない人もいる。

こういう人は難しい。

ちなみに教育研修時の受講者のモチベーション
に関しても同様の問題が発生します。 

一時期はもう割り切って全体の2割が資料使ってくれりゃいいや
と思ってました。
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でも最近こう思うようにしました。

多分資料を作った自分が、
後輩に憬(あこが)れてもらっていないからでは?

もし自分がメンターとして、○○さんみたいになりたい、
って憬れられていれば、
私の作成した資料をお金を払ってでも手に入れるはず。
薫陶を受ける、ってやつですな。

そう思ったのは新興宗教の信者さんを見ていたとき。
「ちょっとこの教典の内容って無理があると思うけど、みんな良く信じられるよな」
って思っていたんです。
みなさん、人生経験も分別も教養もある方々なのに。

で、気づいたのは、それって教義の整合性というか教典のクオリティじゃなくって、
教団のなかの誰か(教祖が多いんでしょうけど)に憬れられるかどうか
が一番重要なんじゃないかと。

というわけで、△量簑蠅鮃酩するには
まず自分が憬れてもらえるような存在になること!

・・・しかしそれは難しい(>_<)

自分は社内でど真ん中のキャリアというわけではないのです。
自分のパーソナリティによる限界やら得意分野による必然やら、
自分の希少性を高めるという戦略の部分があいまって、
今うしろを振り返ると誰もいない状態。
荒れ地に一人。

ブライアンイーノ的孤高状態なら憬れてもらえるが、
今の自分は「たま」状態だし。
ただへんなとこにいるだけ(^^;) 

そう考えると
教育用資料って誰が作るか、っていうのも重要って事ですね。
誰か好感度の高いやつが作ったって事にすればいいのかな。

正直申し上げて今回の結論はグダグダです。

でもやらねば。

なぜならもし今後葬儀業界にイノベーション(技術革新)が生まれるとしたら
それは「より多くの優秀なスタッフを育てるシステム」だと思っているので。


<2013年03月17日>記載