先日こんなブログ記事を見つけました。

 過疎化と老齢化と葬儀社の品位 | ネパール評論 Nepal Review
 
2ちゃんねるの書き込みなら無視するレベルですが
お書きになったのは谷川昌幸という方で、
ネパール学術研究開発センター顧問,長崎大学元教授という肩書きをお持ちのようです。

筆者がそれなりに公的な立場の方であること、
そして葬儀社のことを、「死の商人」呼ばわりしていること
以上の点からさすがにほっておくわけにはいきませんでした。
葬儀業界を代表して叱ります。 

(谷川昌幸氏のブログから引用)
葬儀社にとって,人が死ぬと,それはビジネス・チャンス。
いち早く情報をキャッチし,葬儀一式を売り込み,死亡通知広告を配布する。
広告のターゲットは,もちろん死を待つ老人たちだ。
顧客老人は多いが,葬儀社も多い。勢い,競争は激しくなる。
これは,まさしく死の商人。
峻厳な死への畏れは,いったいどこへ行ったのか?
 金儲けの前では,人としてのつつしみ,たしなみ,品位,品格といったものへの配慮は色あせ,蹴散らされ,もはやどこにも見られない。
朝っぱらから黒枠死亡通知広告を一方的に送りつけ,
老人たちを脅し,それで商売が成り立つとは,よい時代になったものだ。
資本主義は万物を商品化する。死も例外ではない。
地方の過疎化は,人間も倫理もますます疎外しつつある。
死すら商品化された地方の人々は,自分自身の死すら奪われ,
死ぬに死ねない有様だ。

日本の地方は,もうダメだ。

おまえが、もうダメだ。


>葬儀社にとって,人が死ぬと,それはビジネス・チャンス
長崎大学って医学部ありますよね。そこの方々にこうおっしゃってはどうですか?
「病気で苦しんでいて死にたくない、っていう人がいたらビジネスチャンス」
いいですか?医師を含め多くの志のある人間はね、困っている人に対して
自分ががんばって役に立ちたい、と思って働いてるんですよ。
葬儀屋だって同じです。

>顧客老人は多いが,葬儀社も多い。勢い,競争は激しくなる。
そうですよ。
競争原理が働いているから、
顧客に選ばれるためにより良い商品やサービスを提供しないとやっていけないんですよ。

かつてのあなたのように象牙の塔の中で、
身分保障されているってわけにはいかないんですよ。

>峻厳な死への畏れは,いったいどこへ行ったのか?
死への畏れがあるから、人類は葬式を始めたんでしょう?
学者なんですから、もっと勉強してください。 

> 金儲けの前では,人としてのつつしみ,たしなみ,品位,品格といったものへの配慮は色あせ,蹴散らされ,もはやどこにも見られない。

あなたの大学教員時代の給料は
国民が額に汗してお金儲けて、
収めた税金の中から支払われていたのではないですか?

時折、国立大学の教員にはビジネスに疎(うと)い、
もしくはお金を手にすることは汚い、と思っている方がいますが
あなたもその一人のようですね。 

>黒枠死亡通知広告を一方的に送りつけ
恐怖新聞かよ(-_-)
もし老人の方々がそれを見ていやがってんなら
新聞取らなきゃいいだけでしょう。
葬儀社は遺族の承諾を取って通知広告を掲載し、
故人の知り合いに亡くなったことを通知して
地図をのせて参列しやすいようにしているわけでしょう。
新聞の購読者はおそらく、
体が動く限り友人知人を見送り、弔ってあげたいと思っている
のではないですか?

そしてあなたは理不尽な理由で葬儀社を罵(ののし)っておいて
新聞社には文句を言わないわけですね?
この卑怯者。

あなたは、我々葬儀屋のことを穢(けが)れた賤民(せんみん)だと思っていて、
ただ差別したいだけなんでしょう。

谷川昌幸さん、あなたは、
自分は死なないと思っているのでしょうか?
それとも死んだら、
一瞬で自身の体とこれまでの生活の痕跡が消滅する
とでも思っているのでしょうか?
あなたが死んだとき誰があなたを荼毘に付すのですか?

恐るべき想像力の欠如、といわざるを得ません。

(追記)
最後の文章
「資本主義は万物を商品化する。死も例外ではない。
地方の過疎化は,人間も倫理もますます疎外しつつある。死すら商品化された地方の人々は,自分自身の死すら奪われ,死ぬに死ねない有様だ。」
は何度読んでも意味が分かりません。
論理構造、因果関係、ムチャクチャです。
もし晩年の武者小路実篤のように判断能力のない精神状態でいらっしゃるのなら
お大事にしてください。


<2013年05月20日>記載