今日初めて靖国神社を訪れて参拝してきました。
と書くといろんな要素がくっついてきて(たとえばあなたは右翼なのかetc)
私の筆力ではちゃんと理由を説明しきれそうにないのですが、やってみます。

結論から言うと、
弔うという行為の前では人種思想信条右左は関係ない。
ましてや自分はあらゆる人を見送る葬儀屋なのだから
ということ。

もともと自分の生い立ちが原因で、また葬儀屋という職業柄
まだ人生の折り返しと言われる年齢にもかかわらず、
死についてある程度リアリティを持って考える機会は同世代より多いと思います。
そんななか数年前英霊の言乃葉(戦死者が生前したためた手紙)の存在を知りました。
これらを読んでもらえば分かると思うのですが
死を前にして迷い、怯え、それでもなんとか不条理な運命を受け入れようとしながら
家族に向けて自分の思いをつづった彼らの言葉は重いです。
それがきっかけで、一度靖国神社に参拝に行こうと思ったのです。
当たり前ですがそこには戦争賛美やヒロイズムへのあこがれなんてありません。

私には中国人や朝鮮人の友人はいますし
マルクスってっけっこういい奴(貧しい人を救えると信じてた)じゃんと思ってますし
石原慎太郎はあんまり好きじゃなですし
自称国粋主義者から葬儀を依頼されてエライ目に遭ってはいますが
そんな右左関係なく「弔いたい」っていう本能に従って靖国に足を運んだわけです。
繰り返しますが「弔う」っていう行為の前では人種思想信条右左関係ない、って思っています。

うーん、うまく伝えれていますかね?
私の筆力ではこれが限界ですね。申し訳ないです。

さて靖国神社では普通に拝殿でお参りできるのですが
せっかくなので本殿での参拝の手続きをとることにしました。

このとき封筒に玉串料を入れるのですが、
いくら入れたらいいのか正直迷いました。
この辺りはお葬式の際の御遺族と同じ心情です。
封筒の記入例に金5千円と書いてあったので
その通りに入れてみました。
(実際は3,000円くらいからでいいみたいです)

本殿参拝者は
私ともう一組老夫婦がいらっしゃいました。
神官との会話から察するにどうやら戦争で亡くなられた方の御遺族のようです。

手水で手と口を清めて本殿にあがります。
普段使わない「静謐」って言葉が思い浮かびました。
普段猫背気味の私も背筋が伸びます。

二礼二拍手一礼のとき、柏手のところで思わず忍手(音を立てない拍手。お葬式の時はこれ)を打ちそうになりました。
職業病ですね。

帰りには、小瓶に入ったお酒がもらえます。
最近はめっきり少なくなりましたが、
故人が戦争体験者の方で神式の方のお葬式があったら使うことにします。

靖国神社参拝体験記 2/2 に続きます。


<2013年06月12日>記載