先日のサンケイの記事から

最近団塊の世代を中心に聞く機会が増えた、この発言。

「子供達に迷惑を掛けたくないから葬儀はしない」

私はどうもこの言葉に違和感を感じてしまうのです。
それは私が葬儀が無くなると困る立場の人間であるから
というだけではないように思うのです。

今回はこの違和感の原因を探りたい思います。

そもそも葬儀って迷惑なものなのか?

上記の発言の真意らしきものを探ってみると

・手間がかかる
・お金がかかる
 
ことが自分の子供の世代にとって迷惑になる
と言うことなのだと思います。

ただ手間とお金の問題と言ってしまうと
そうは言いながら、将来戻ってくる当てのないのを覚悟で支払っている若者達のお金を
年金として受け取っているのはいかがなものか、
とか
終末医療の方が葬儀より手間もお金もかかるのに
それはやめてとは言わないのか
という意地悪な指摘が思わず口をついて出てしまうのですが
ただこれらは話がマクロすぎたり、ミクロすぎたりするんでちょっと脇に置いておくとして。

適切な解釈をすると
おそらく亡くなる本人の宗教観を含めた価値感で評価すると
(成仏なんて信じない、とか)
葬儀に価値を見いだせないから、わざわざお金かけてまでやらなくていいよ
ってことを言いたいのかな、と思うんですね。

ただお葬式って亡くなった人のものであると同時に
遺族を含めた残された人達のもの、でもあるわけで。
「迷惑をかけたくない」発言は相手を気遣っているように見えて
実は思考停止にも見えるのです。
それが私の違和感の原因かと思うのです。

たとえば去年亡くなった三國連太郎氏。
報道によると「散骨して誰にも知らせるな」
という言葉を残していたらしいです。
しかし誰にも知らせないわけにはいかず
遺族はちゃんとお別れ会を開き
そして散骨していないということです。
これは氏に迷惑をかけたくない、という気持ちがあったのかは不明ですが
家族との事前のコンセンサスが出来ていなかったのは確かでしょう。
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この本にも
子供世代のとまどいが描かれていますね。

迷惑という言葉で片付けるのではなくて
見送る側と見送られる側の価値感をすりあわせた上での
「葬儀はしない」
が大切なのではないでしょうか。


<2014年01月31日>記載