以下の話は私の断片的な知識をつないで
考えたことなので、いろいろ抜けが有るかもしれません。
もしくはすでに同じことを考えた方がいるかもしれません。
そもそもまだ結論に達していないのですが、
とりあえずリリースしてみました。
博識な方はコメントお願いします。


その中で、「えっ?」という衝撃の内容が・・・

「宗教」という言葉が生まれたのは実は明治時代になってから。

明治以前には、仏教、キリスト教という用語も使われておらず、仏教は「仏法」として、
キリスト教は「耶蘇」あるいは「伴天連」として、儒教は「儒学」という言葉で呼ばれていた。


今は亡き小室直樹氏ですが博覧強記な方で、かなり専門的な記述が目に着きます。
ただこの本には参考出典の表記がほとんど無く、
どこまでが氏の考えで、どこまでが客観的事実か分りません。
(そもそも宗教に客観的事実があるのかという議論は置いといて) 
余談ながらこの出典を示さず言いっぱなしという傾向は
愛弟子の橋爪大三郎氏にも引き継がれており
氏の本も面白いが、それぞれの宗教の中の人からは結構叩かれているみたいです。

そんなわけで上記の記述の真偽もちょっと調べてみたのですが
 

ウィキペディアの宗教のページ


うむ、どうも本当らしい。

明治になって 「religion」という英語の訳語として初めて
「宗教」という言葉が作られたらしい。
(ちなみにreligionの語源は「繰り返し読む」という意味。キリスト教は聖書を繰り返し読むから)
仏

ソシュール的にいうと
モノや概念というのものは
名前を付けられて、初めてこの世に「存在」する。
言い替えると名前のないモノは、この世に存在しないということ。
(たとえば、同じ虹を見ているのに民族によって
虹の色の数が7色未満の場合があるのは
そもそもその色の名前(≒概念)が存在しないから。)

現在は仏教、儒教、神道、キリスト教などを「宗教」という枠組みの中に入れて
認識していますが
江戸時代以前はそもそも「宗教」というカテゴリーは存在しなかった、
ということですよね。
なんか学問や思想と一緒のなにか、
という存在であったのでしょうか。
(ちなみに英語では仏教はBuddhism、マルクスの思想は Marxismというように
同じ思想=ismとして表現されているみたいです) 
神
 
ということは現在の日本人に「無」宗教の人が増えている、
などと言われますが
そもそも江戸時代以前の日本において
「宗教」など「無かった」ということにはなるまいか。
家父長制と同じく、
たかだか150年前の明治時代に生まれた概念に過ぎないと。
だから日本人が無宗教って、言われても、
ええ、そりゃそうでしょう、
ということになってしまうわけですよね。 

このあたりは面白そうなので、
ちょっと深く掘り下げたいところですが
今日はここまで。


<2014年04月24日>記載