今回紹介するのはこの本。

終活なんておやめなさい –ひろさちや
終活なんておやめなさい (青春新書プレイブックス)

ひろさちや 青春出版社 2014-05-21
売り上げランキング : 24796
by ヨメレバ

以前出版された

お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗 (PHP新書)

ひろ さちや PHP研究所 2000-08
売り上げランキング : 130753
by ヨメレバ

と重複している部分が結構ありますが
さらに過激な主張になっています。

この本読んだ方にお聞きしてみたいんだけど
彼の考え方って共感できますか?

私は全く共感できないです。
 
この本の主題はこの部分に集約されています。
自分の死後、遺族に「ああ、何もかも片づけていって、立派な父親だったなあ」
思われたいのです。
要するに自分をよく見せたい、善人と見られたいわけですから、
これは我欲以外の何ものでもない。(P27)

自分の葬式を執りおこなうのは誰ですか?
自分で自分の葬式ができますか?

 であれば自分のものまで決めるのは、やりすぎなのです。
かりに妻から、「あなたのお葬式はどうしたらいいですか?」と聞かれたら、
「知ら
ん」のひとことで片づけるのが、
道理がわかった人間のふるまいです。(P37)
おそらく彼がこういう考え方をするのは
実際の終末の現場を知らないからではないでしょうか?

亡くなった人が(意図的か仕方なくかに関わらず)ほったらかしにした結果
残された遺族がどんだけ苦労しているか
御存じないのでしょう。

終末の現場を知る
医師や弁護士や葬儀屋が
終末への準備を勧めるのは決して商売だけが目的、というわけじゃないです。
本当に準備がないとみんなが困るということをリアルに知っているからです。


それを欲にまみれていると非難するというなら
「今日をより良く生きよう」というのも欲でしょう。
今すぐ死んではいかが?

ひろ氏は
自分が達観したということを自慢したいだけではないのでしょうか。
だとしたらそれこそ欲にまみれているのでは?
もしくは現実逃避? 

確かに自分が死んだときに自分は存在しません。 
しかし死んだときの自分のことを思う我はここに存在します。

まれにご自身が余命宣告を受けたからとおっしゃって
葬儀の事前相談にお越しになる方がいらっしゃいます。

「自分が死んだときに家族が困らないようにすることが
今できる唯一のそして最後の愛情表現なんです。」

そう言う彼ら彼女らは例外なく「強くて美しい」と私は思うのです。

ひろさん、もしあなたのおっしゃることが仏教の悟りであるというのなら
(恐らくあなた独自の拡大解釈だと思いますが)
悟りとはなんと臆病で醜悪なものなのか、と言わざるを得ません。

以上が総論。
病院

以下は個別に反論していきます。
終活というのは「俺はここまで家族の
ことを考えていたのだ」ということを訴えたいがためのアリバイエ作にすぎないのです。

もちろん、そんなアリバイは家族の間では通用しません。
「さんざん家族を蔑ろにしてきて最後だけ格好をつけようつたつてそうはいかない」それが残された家族の本音です。(P31)
なんで全員が家族を蔑ろにしている、っていう前提なんでしょうか?
そうでない人の方が多いと思いますが。
「立つ鳥跡を濁さず」って
日本人の美しい思想だと思うのです。
利己主義ではなく利他的に 
最期をキレイにしようと思うのがなんで悪いのでしょうか?
歳をとって病気になり、看護や介護が必要になっても、
子ども世代、孫世代が面倒
をみてくれます。
「私はいま手が空いているから、おじいちゃんのお世話はまかせて」
という塩梅です。
つまり、何の憂いもなく老人生活を送れるのですから、
終活なんていうものはまっ
たくする必要がないのです。
大家族主義であったかつての日本もそうだつたのです。
それを、近代化だか、個人尊重だか、知りませんが、
訳のわからない理屈を掲げて、
すっかり壊してしまった。(P163)

大丈ですか?ひろさん。
かつて看護や介護をやっていたのは
イエという制度のもとで犠牲になってきた「嫁いできた女性」ですよ。
医療制度上の問題はあっても介護のプロに委託できるようになった現代の方が
あの時代よりいいに決まっているじゃないですか。

それから
昭和初期まで大家族主義だったのは
その形態の方が生活コストがかからなかったからに過ぎません。
だから豊かになればなるほど
一世帯当たりの人数が減っていったのです。

ノスタルジーで「訳のわからない理屈を掲げ」て言わないでください。

宗教学者という肩書きから俗人には理解不能な高尚な人物と見られがちですが
ここまで読んでくると単に浮き世離れしているだけなのでは?
という疑問が湧いてきます。
世俗の人が、真に受けるべきではないと思います。
病院3
 
この死体の処理に関して問題が起きるのは、
それを担うべき遺族がいない場合でし
ょう。いまは孤独のうちに死んでいく人も少なくはありません。
そこで、
「誰にも知られず、腐乱死体になるなんてみっともない。せめて、
そのためのお金く
らいは残しておかなければ……」
しかし遺族がいなければ死体の処理は行政に任せておけばいいのです。
そのために私たちは税金を払っているのです。
各自治体が責任を持って処理する。それが当然のことです。(P55)
金は払ったんだから
ほったらかしにしとくんで、あと面倒見ろや、
ってひどすぎませんか。
それに
ひろ氏は、印税払っているかも知れないけど
亡くなっている人のほとんどは税金収めるどころか
年金の世代間格差分を若い世代からもらっているという構図なんですが。
これは構造的にやむを得ないところもありますが、
「当然のこと」って威張られるとね。 

それから一度ひろ氏には
腐乱死体の処置と特殊清掃を実際にやらせてみたいです。

まったく孤立無援で死を迎えたケースでは、
ぃったいどのように処理されるのか、
不安を抱えている人も少なく
ないかもしれません。
そこでつましい生活をしながら、苦労してためたいくばくかのお金を葬式代として
残しておこう、と考えたりする。
しかし、前にもお話ししたょように、そんな気遣いは
いっさい無用です。
孤立死する人がいるような社会にしたのは、政治の責任、行政の
責任です。
責任は原因をつくったものがとる。
それが社会の基本原則でしょう。
死後
放っておかれた死体の運び出しも、その後の処理も、葬式も、埋葬も……
何もかも一
切合明を行政の責任でやらせればいいのです。
こちらには「税金を払ってきた」という錦の御旗があります。
行政側は公僕、つま
り、その税金で雇われているサーバントなのですから、
納税者のために働くことが彼
らの本分なのです。(P194)
行政の責任っておっしゃいますけど
おひとり様になれ、っていう法律でもあるんですか。
学生運動中の学生じゃあるまいし
なんもかんもお上のせいにするのはみっともないですよ。

私にはあなたが卑しい人にしか見えないのです。
 これがひろさちや氏のいう「悟り」なら悟らなくていいや

金塊 
「なんとか相続税を節税する方法はないだろうか?」
「生前贈与したほうが得かな?」
などと
金勘定に躍起になっている終活と、
自分のなかにお浄土をつくることに幸せを
感じる終活。
私は後者がはるかにすばらしい、前者は老いの生き方として恥ずかしい、
と考えるのですが、みなさんはどうでしようか。(P175)

しかし、人生も晩年になって、金、金、金……というのは
みっともなくはないです
か。(P179)
金塊を自宅にため込んでいた(泥棒に盗まれたことで発覚)人間の言うことではないですよね。
みんなもう忘れたと思ってるんですかね。 
 
人は何も持たない裸で生まれてきて、何ものも持たないで還っていく。その道理に
気づくことが、生死をあきらめることだ、と思います。そして、そのことをわきまえ
て生きるのが、人生を生きるということなのです。
生活至上主義のまさしく対岸にある生き方です。「すべてを投げ捨てていく」のが
死ということなら、終活などアホらしいかぎりであることはいうまでもないでしょう。(P167)

「すべてを投げ捨てていく」ことを避けられないと知っているから
みんな終活してるんじゃないですか?
 
年長の方に向かってこういうことは言いたくありませんが
アホらしいのは終活ではなくあなたの考え方ではないですか?


<2014年11月08日>記載