多村至恩さんは住職兼社会学者。

彼女が東京新聞において
「薄葬」を考える
とのタイトルで3月21日と28日の2回に渡って連載されていました。

ブログのコメント欄にこれはどうなの?との書き込みを頂いたので
読んでみるとたしかにこれはいかがなものかと。

というわけで反論を掲載します。

ちなみにこれらの記事は
このサイトに掲載されています。
(スキャニングして載せているのはアウトだと思いますが)
新聞
21日の記事の末尾には
そこで次回は経費削減の対象について少し学術的な観点からお話ししたいと思います。
そして最後にお金をかけず従来型の葬儀をあげる方法をこっそりお教えしますね。
と書かれていました。
当然期待は高まります。

で、28日にコンビニに東京新聞を買いに行きました。
その結果は・・・
しかし、近年増えている家族葬といった近親者だけの葬儀では告別式は必要ないでしょう。
実はここが経費節減ポイントなのです。
告別式をしないということは、会場・会食・返礼品などが節約できます。
ちょっとここ表現がわかりにくい。
現在では葬儀と告別式をちゃんと分けていないので
「告別式をしない」という表現ではなく「近親者以外の、参列者を呼ばない」という表現の方が
読者にとって分かりやすいと思います。

次に
「告別式をしないということは、会場・会食・返礼品などが節約できます。」
は誤り。

参列者を呼んだとしても、香典お断りと言わない限り参列者は香典を持参するので
香典返しの分を除いても会食費用と返礼品の費用の分くらいはまかなえます(≒相殺される)。
また葬儀が小規模化した現在では一般葬として参列者を自由に呼んでも
二日間で100名を切るケースが多いです。
家族葬だろうが一般葬だろうがミニマムサイズの式場で済みます。
(地方は違うと言われるかもしれないが掲載されているのは「東京新聞」)
つまり告別式をしようがしまいが(≒人を呼ぼうが呼ばまいが)遺族の負担は変わらない。
よって
「告別式をしないということは、会場・会食・返礼品などが節約できます。」
は誤り。

そもそも告別式をしない方が、なんて
僧侶がわざわざ葬儀の社会的機能を否定することを言うのは
いかがなものでしょうか。
最後に、従来通りの葬儀を、
見栄えを損なわず経費節減する方法をお教え致しましょう。
それはお寺で葬儀をすることです。
寺院はすでに荘厳な空間として整っていますので祭壇が要りません。
お花があれば十分、見劣りしません。
「荘厳な空間」と言っていることから寺の本堂で葬式やったら?ということでしょうか。

多村さんはお寺の住職をされているらしいのですが
もし突然檀家でもない人から電話があって「葬式したいから明日明後日本堂貸して」
って言われたら貸すんでしょうか?

私は東京新聞の購買層が住んでいるエリアで活動していますが
そんなお寺さんなんてめったにいないですよ。

もちろん檀家さんなら本堂を使わせることはあるでしょう。
しかし本堂使うなら出入りの葬儀屋を使えというお寺が多いんじゃないでしょうか?
つまり檀家は葬儀社を選べない。

葬儀屋さんなら
遺族から一度葬儀依頼を頂いたのに
本堂で出入りの葬儀屋使って葬式やるからと菩提寺から言われて
キャンセルになった経験あるでしょう。

選択の自由がない、つまり競争原理がないところは腐ります。
で結局その遺族は割高な葬儀をやらされてしまう。

このあたりも多村至恩さんは(東京の)葬儀の実態に
疎いのではないかと思われます。
これが多村さんのおっしゃる「少し学術的な観点」ということなのでしょうか?

葬儀現場のフィールドワークが足らないのではありませんか。

 (追記)
21日の記事
もともとは警察用語で身元不明者の遺体を火葬する際に
「チョクで送って」という言い方をしていたそうです。
従ってそのまま漢字で表すと「直送」となりますが
これではイメージがよくないということから「直葬」となりました。
この説は初めて聞きました。
碑文谷さんは多村さんの説はおっしゃっていなかったと思うのですが。
「学術的な観点」から 多村説の出典表記を希望します。


<2015年03月31日>記載