3月26日の日経新聞夕刊から糸井重里氏のインタビューです。
WEB記事が本日アップされました。)

理想のお通夜開きたい
 
近年、自分のお通夜をどうするか考える時間が増えている。

「プラモデル作りのような感覚で楽しんでいますね。集まりやすい場所選びに始まり、日本女性は喪服の着物が似合うので知り合いの女優さんたちに『お願いだから着て来てね』と頼んでおこう、とか。男性の参加者はきっと『来たかいがあった』と喜んでくれる。遺影に使う写真も2つに絞りました。どちらも楽しそうな顔です」

「この年齢になると、賞や地位が人の価値じゃないと痛切に感じます。来てくれた人も肩書に一切関係なく、皆で『糸井ってバカだったよねえ』『でも、いてくれて良かったね』などと楽しんでほしい。死んだ後、僕の出会った人たちがそんなふうに盛り上がってくれたら、生まれてきたかいがあったというものです。自分のお通夜がそんな場になるにはどうすればいいかと考え、逆算して生きています」

「ただし、早くその日に来てほしいとは思いませんけど。準備期間が長いほど当日は面白くなりますからね。
MOTHER

過去何度か初老知識人の
「俺の葬儀なんてどうでもいい」
発言を批判してきました。

渋谷陽一氏にもの申す
お葬式がいやだから直葬、のときほどよく考えよう
インテリ文学系のおっさんはなぜ「葬式なんてどうでもいい」と言うのか

彼らがこんな発言をするのは
進歩的だから、ではなく豪放だから、でもない。
死ぬことを考えるのが怖いからです。
怖いのは当然のことなのでそこを批判する気は毛頭無いのですが
怖がっていることを隠すために、思考停止に陥って、現実逃避の結果、
「葬式なんてどうでもいい」やら「葬式はムダ」発言をするのはカッコ悪いと思うのです。

考え抜いた末、自分の葬儀相談にいらっしゃって
葬儀を行わない直葬を選んで、散骨の段取りまでちゃんと準備しておこう
という方にお会いする機会があるのですが
そういう方はたとえお葬式をしなくても
かっこいいなぁと思うわけです。

糸井氏の著作はこれまで何冊か読んでいます。
MOTHERは途中で止めました(^^;))
彼のコピーライター時代は
あの商業主義的軽さゆえに好きになれなかったのですが
このインタビューを読んで見直しました。
彼はカッコいいです。

併せてこの記事もどうぞ。











<2016年04月02日>記載