演出家の蜷川幸雄氏がお亡くなりになりました。
これまで葬儀の現場で弔辞を3百本以上聞いてきた立場で
今回は氏の葬儀で読まれた弔事について考察してみます。

蜷川 氏の葬儀では
平幹二朗、大竹しのぶ、吉田鋼太郎 、小栗旬、藤原竜也(敬称略)
が順番に弔辞を読んだようです。
全員の弔辞原稿はこちら

それぞれの弔辞の音声がネットに上がっているだろうと思っていたのですが
小栗旬、藤原竜也の2名の弔辞しか見つけることができませんでした。
舞台を見ないで台本だけ読んで その役者の良し悪しを判断することなどできないように
今回は平幹二朗、大竹しのぶ、吉田鋼太郎お三方の弔辞に関しては言及しません。

それでは音声を聞くことができた小栗旬、藤原竜也氏の弔辞について。

葬儀で弔辞を読むという行為は極めて演劇的です。
故人が演出家ならそこは演出家から与えられた最後の舞台と言えるわけで
これまでの役者としての力量の集大成が求められると言えるでしょう。
という記事で書いたように弔辞者は
脚本
演出
演者
を全て一人でこなさなければいけません。
つまり敬愛する演出家の葬儀で弔辞を読む役者、
というのは極めて残酷なプレッシャーにさらされています。 

おそらく二人とも葬儀の参列経験が少ないなかで
そこでは一体なにが正解なのか、という逡巡を繰り返したはずです。

そして実際にお二人の弔辞を聞いてみて
残念ながら(私が最高の弔辞者と評する)勝新太郎と比するレベルに達していないと感じました。

まず構成が総括的な内容になっています。
これで持ち時間が5分以下では薄くなるのは避けられません。
蜷川幸雄という男の全てを表すワンエピソードの一点突破が良かったのでは、
と私は思うのですが。

また演者としては
偽りのない自分の真情の吐露が求められる一方で
感情をコントロールしながら自然に表現するという、
無防備と作為のバランスがうまくいっていなかったと感じました。
悲しみだけしか伝わってこなかったらそれは素人でも可能なことですし
一方でうまいと思われたら、失敗ってことですよね。
そういう見方で聞いているとずっと危うい感じがして、
私の中で評価に至りませんでした。
お二人ともまだお若いので
これ以上のものを求めるのは酷だと言うのは重々承知しています。
あくまで勝新太郎を基準に考えたら、ということです。

また弔辞者が5人もいたことで、他の弔辞を意識せざるを得ず
いい弔辞を読んでやろうという気負いもあったのかもしれませんね。

今回こういう経験を積んだことで
野田秀樹氏の葬儀までには
勝新太郎レベルの弔辞を読むことができるようになっているでしょう。
期待しています。


<2016年05月24日>記載