病院の向いに葬儀会館建設計画が持ち上がっているという報道がありました。
 
 病院の向かいに葬祭会館 建設計画に住民反発
 
「噂の東京マガジン」、出番だよ!(ってまだやっているのだろうか。最近テレビ観ないので)

韓国では病院と葬儀会館が併設されているといっても、穢れ思想を持つ日本人には受入れられないでしょうね。
今回静観を決めている行政に病院や住民は逆上するかもしれません。
しかし建築法や条例など法律を遵守している限り葬儀会館建設を止める方法はないのです。
法治国家なので。

とはいうものの
葬儀式場建設反対運動サイトにからんでみる
という記事を書いた私でもさすがに、いろいろ社名が出てしまうマイナス効果を考えると今回葬儀社は思い切ったなと感じます。
不動産として優良物件だったのかな。というより病院を建てられるような物件がある地域って葬儀会館向きの物件もあるはずなんですよね。そこまで踏み切る葬儀社が無かっただけで。

さて世の中の論調に乗っかかってしまうと記事としては凡庸になってしまうので
長谷川豊的にあえて逆張りで葬儀屋擁護に挑戦してみましょう。
ほら、ディベートのトレーニングで立場入れ換えて議論する感じで。
病院2016年1月16日
目の前に葬儀会館が出来たからといって医学的にフィジカルな悪影響を及ぼすわけではありません。
葬儀会館が有害物質まき散らしているわけではないので。
メンタル的に不愉快なのはよく分かるのですが、それは果たして健康に悪影響なのでしょうか。
あの葬儀会館には行きたくないから長生きしようと思う人がいるかもしれない。
もしくは末期の人が、スムースに死を受容することができるかもしれない。 
その病院に検査に行くたびに死を意識して、充実した生を生きなければいけないと思うかもしれない。
利用者のメンタルにとっては一概にマイナスとは言えないのではないでしょうか。

葬儀会館建設問題って突き詰めると、「人間誰でもいつか亡くなる」という当たり前のことを言ったら怒られた、ということなんですよね。
気持ちは分かりますし、怒る権利もあると思いますが、ちょっと窮屈で脆弱だな、と思います。

また法律を守っているなら、葬儀会館の是非は経済の話です。
需要がなければ潰れる、需要があれば営業し続ける、というシンプルな話です。
そしてそれを決めるのは結局会館の利用者である住民の方なのです。
今回建設した平安さんにもちゃんと勝算はあったのでしょう。
注目されて企業イメージが悪化するリスクもあるうえでの決断のわけですから。
(万一何も考えてなかったらどうしよう(^^;))

私の主観的意見ではありますが、最近都市部でのヒステリックなNIMBYシンドロームは、以前ほど見かけなくなってきています。
近所に葬儀会館ができたおかげで、遠くまで参列しなくてよくなった、という高齢者の方の好意的な意見さえあるくらい。 
老人の人口比率が全体の3割になろうとしている時代ですから、日本人の価値感も徐々に変わるでしょう。
今回の葬儀会館も出来てしまえば意外と「風景」になるのかもしれません。 


<2016年07月23日>記載