先日1年ぶりに実家に帰ってきました。
といっても両親は他界し、兄弟も家を離れたので
実家の建物は誰も住んでおらず空き家状態。
人が住まなくなった家というのは、物理的な劣化以上に寂れていってしまうような気がします。
何か「気」が抜けてしまったような感じというか。

その後近所の墓に墓参りへ。
ほぼ一年ぶりの帰省だったのですが、実家の墓は雑草もそれほど伸びておらず
予想よりも荒れていません。
両親を知る近所のどなたかが手入れをしてくれているのだと思います。
限界集落なのでおそらくこの村で生まれた高齢の方のはずです。
誰かに感謝されることを全く期待することなく他人の墓をきれいにして
そしてこの村で死んでいく。
そんな人の高潔さを考えると、ありがたさより自己嫌悪の気持ちの方が強くなってしまうのです。

今回の墓参りには目的がありました。それは実家の墓に並ぶ20本以上の古い墓石のこと。
子供の頃から見慣れていたため当時は気にも留めなかったのですが、これはいつの時代のものだろう、ということが気になりだしていたのです。

表面に苔が生えていて文字も薄くなっていたのですが、なんとか「元禄」の文字が読み取れました。
さらによく調べてみると二つ隣の墓石には「延寳」という文字が読み取れました。
スマホで調べてみると「元禄」より前の元号であることが判明。
ということは文字が読み取れない他の墓石は一体いつからあるのだろう。
自分の氏が室町時代から続いていることは知っていましたが、墓がここまで古いというのは知りませんでした。

しかし困った・・・
自分の代で墓じまいをしなくてはと迷っていたのに、先祖が数百年この場所を守っていたと考えると、さらに迷いが深まってしまいました。
しかしよく考えてみればどんな人も長い期間、先祖からの血を引き継いできたわけで、
我が家の場合、たまたまそれが墓石で可視化されたのに過ぎないのです。
ただそうは言っても、墓石で可視化されるというのは継ぐ者にとってはとても重い。
悩みつつ、また問題の先送りをしてしまいました。
元禄
東京に帰った日は雨でした。
真っ暗な実家の居間に雨漏りがしているところを想像して
とても悲しい気持ちになって
妹に電話してそのことを話したら、気持ちは分かるが感傷的すぎると笑われました。
妹が強いのか、私が弱いのか。


<2017年08月03日>記載