以前風見しんごさんのお嬢さんが亡くなった件について
記事を書いたことがあります。
(参考記事:子供を亡くすということ

今回「終活読本ソナエ」での風見さんのインタビュー記事が産経のネットニュースに転載されていたのでとりあげてみます。
長女、長男、実父と「喪主」3回、胸中は… 「自分の死」を伝える大切さ タレント・風見しんごさん) - 産経ニュース
flower_kikyou

えみるの通夜は亡くなった2日後でしたが、頭が真っ白でどんな葬儀にしたいとかは、まったく考えられませんでした。助けてくれたのが葬儀社の方でした。「どんなお嬢さまだったんですか? 差し支えなければお嬢さまのお写真を見せていただけますか」と、えみるを知るところから始めてくれました。そうしてえみるの好みを共有するうちに、式場をどんな色にするかや、花が決まっていきました。あれは本当に助かりましたね。

たしか前回の記事でとりあげた風見さんの著書には、葬儀屋さんに対する感謝のコメントは無かったと記憶します。
お子さんを亡くすような悲惨な状況では、我々葬儀屋さんはいつも以上に消耗するものの
遺族の方からねぎらいの言葉をかけられるケースは少ないです。
遺族の方にそんな精神的余裕は無いのは当たり前で
葬儀屋さんもそのあたりのことは十分心得ています。
おそらく風見さんは何度かお葬式を経験した事で「そういえば、あのとき・・・」というように
過去の情景を思い出して、葬儀屋さんの心遣いに気づいたのではないでしょうか。
死産の場合は葬儀をしないこともあるそうですが、内々ですることにしました。
確かに死産のお子さんの葬儀をすることは極めてまれなのですが、
風見さんがあえて行ったのは、葬儀の「意味」や「役割」ついて気づいていたからでしょう。
元気なうちからそんなことを言うと縁起でもないとか、不幸を呼ぶとかで遠ざけるところはあると思いますが、人はいつか亡くなるわけですから。やっぱり自分の喪主になってくれるであろう人には、何かしら伝えておくべきだなと、これまでの経験から感じます。
おそらく今も「なぜうちの子が亡くならねばならなかったのか」という思いはあるはずです。
しかし少なくともその葬儀から何か得たものがあったということは、
葬儀屋として救われます。


<2017年07月13日>記載