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アントニオ猪木の「生前葬」を考える




この1週間、以前書いた生前葬の記事(生前葬が定着しない理由)にアクセスが集まっていたので
原因を調べてみたところおそらくこれ。

【INOKI ISM】10・21両国で「猪木生前葬」

生前葬ってなに?といぶかしんだプロレスファンにお読み頂いたようです。

家族葬以上に拡大解釈が行われがちなのが生前葬です。
高齢になってからの誕生会を生前葬と呼んでみたり
最近では歌手の小椋佳氏が自分のコンサートを生前葬と呼んだりしていますね。
これで少しでも終活に対するハードルが下がるなら、この拡大解釈も良いことだと思います。

で、猪木の生前葬・・・
拡大解釈の極北というか
自身主催の興行に「生前葬」とつけてみただけ、のようです。

さすが、猪木。

猪木が素晴らしいのは、「対戦相手が箒(ほうき)でも客が呼べる」と言われたプロレスラーとしてのセンスと並んで、社会人として全てがデタラメなことです。
国会議員にまでなっておきながら常識というものが一切通用しません。
以前も「国会議員の地位をかけて」大仁田厚に対戦を申し込んでいました。
そう、議会制民主主義の根幹すら超越したところに猪木はいます。

馬場がスポーツエリートで経営者としても有能だったのに比べて、猪木は「強さ」以外が全てが破綻していて、その常識から逸脱するデタラメなパワーを私は評価しているのです。

馬場と猪木は最も知名度が高いプロレスラーであるだけでなく、最も国内で知名度が高い日本人であると、かつてナンシー関が指摘したように日本人のほとんどが知っている二人です。
しかしその「正体」はよく知られていないように思います。

この二人を「本当に」理解したければこの2冊を読んでください。

馬場の場合、真剣勝負だと思っていたプロ野球でその卓越した肉体故に使ってもらえなかった苦悩、そこからショーマンに転じた皮肉、ケガや病気による挫折、その肉体を活かすための戦略、経営者としての才能、すべてが素晴らしい。

↓この本の越中・天龍・馬場が会する場面は何度読んでも3人ともカッコイイ。

↓そしてこの本の冒頭で登場する「黒い」馬場も好きだ。

ああ、今回は猪木の話でした。私は馬場派なのでつい・・・

猪木は全てが馬場の対極でした。
それゆえ二人はお互いを高め合い
輝いてたのです。

猪木のことだから、生前葬って言っているけど
絶対葬儀の意味なんて考えていないはず。
肉親が亡くなったという事実すら、猪木に影響を与えることはできない。
自分は死なないくらいに思っているにちがいない。
いや、そうであっていて欲しい。
だって猪木なんだから。

アントニオ猪木、生前葬開催の理由は兄弟2人の死去 – プロレス : 日刊スポーツ

「生前葬をやるという話になって急きょ、この話が盛り上がった。何年か前にジャイアント馬場さんが亡くなった。リングの上で、いつも挑戦していたんですが、理由を付けて逃げ回っていた。ある日『挑戦状を受ける…三途の川で待っている』と。三途の川まで行くには、ちょっと早いな。そろそろ迎えに来てもいいかな。」   猪木は1999年(平11)1月31日に亡くなった、ジャイアント馬場さん(享年61)の挑戦状を受ける意義が、今回の大会にはあると強調した。

ほら、もう言っている意味がよく分からない。

でもこれでいいのだ。
だって猪木なんだから。











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