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葬儀屋はお葬式で感動するな!




葬儀で「感動!」って言う葬儀屋を見るとなんで不愉快なんだろう
というお話です。

たまに目にしますよね。
葬儀屋さんが「葬儀で感動したエピソード」とか「感動葬儀!」とか言ってるの。
彼らを「感動葬儀屋」と名付けましょうか。

不愉快です。

なんで不愉快に感じるんだろうと考えてみたのですが・・・

イチローの活躍を見たときに感動という言葉を使う。
これは分ります。

一方、遺族の想いや言葉に魂が震える瞬間があります。
でもこのとき感動という言葉を使うのは適切では無いと感じます。

葬儀で感動するっていうのは、
その感動している葬儀屋は傍観者だから感動できるのです。
自分が当事者じゃないから感動できる。

葬儀屋が、傍観者であり、当事者でないことは、当たり前です。
問題はその感動葬儀屋が、自分が傍観者であり、当事者でないこという
当たり前の事実に対して無自覚であるその無神経さが許せないのです。

私の父が亡くなって葬儀が終わった直後、父の財布をあらためているとき、
既に亡くなっている母の結婚当時のモノクロの写真を
財布の中から発見しました。
いつも持ち歩いていたのだと、そのとき初めて知りました。
感動葬儀屋にとっては、これは「感動」する話なんでしょうね。
しかしそのとき私が感じたのは、
なんでこんなことになっちゃったんだろうという
深い絶望です。

当事者の気持ちなんてそんなもんだ。
所詮他人である葬儀屋が軽々しく感動なんて言葉を使うな。

君たち感動葬儀屋から感動感動と言われた遺族は、
明日から逃れられない現実を生き抜いていかねばならんのだ。
君らが翌日にはもう別の遺族を見て、感動感動と言っている間もな。
家で寝転がって安っぽいTVドラマ見て感動感動と言っている間もな。

もちろん中には自分自身の身内の葬儀で感動という言葉を使う遺族もいるだろう。
だけど、そうでない遺族もたくさんいるっていう現実も知っておいた方がいい。











7 件のコメント

  • 私も全く同感です。

    「感動」という言葉は
    葬儀には 「え?」っと思いました。

  • つれづれ思う 様、コメントありがとうございます。
    遺族の方が「感動」って言うならともかく
    葬儀屋さんが言ってはいけないですよね。

  • もし自分の家族や大切な方の葬儀ならば
    「悲しみ」だけで「感動」って言葉は何処にも無いと思います。

    感動するのはお通夜やお葬式に来て下さったお客様が感じることは有るかもしれませんが

    葬儀屋さんが御遺族の心に寄り添う・・とお考えならば絶対に使ってはいけない言葉だと思います。

    たびたび耳にしていたので
    とても気になりました。

    物理教師さん、ありがとうございます。

  • いや、感動で良いとおもうな。
    確かに感動と言う言葉が不適切な場合もあるけど、最終的に残された遺族が哀しみを乗り越えて新しい一歩を踏み出すかだから、葬儀屋としては、故人様に感謝を伝える場を提供する事が仕事だから。

  • 的外れかもしれませんが、我々はお客さんに感動してもらえる技術や話術は必須だと思っています。たとえば、遺族がどうやっても閉じなかった故人の瞼をいとも簡単に閉じてあげた時に、「すごい!魔法の手です!」とか言わせてみたり、仏事や葬儀に対するお客さん疑問に対して、「なるほど!目からうろこが落ちました!」などと言わせてしまう。
    我々は感動させる側の人間だと思っています。
    ただ、実際にはそんなにかっこよく振る舞える機会は少ないのも事実。
    雪の降る真夜中だろうが、豪雨の最中だろうが、炎天下だろうが、お客さんの元へ駆けつけ、誠実に向き合い、プロの仕事をする。その姿に感動していただくならば、葬儀屋冥利につきるかな?って感じです。

  • 同業です まさにその通りです うちの会社はそういった感動できる施行がなかったか各スタッフに問うて集めて受賞式とかやります 

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