数年前の話です。
ある故人(女性)の納棺の際、遺族の方が楽譜を御棺に入れられました。
別の遺族の方が
「何、それ?」と尋ねると
「おばあちゃん、3年くらい前から、ピアノ習ってたのよ」

曲名は全て思い出せませんが
「ジムノペディ」と「レット・イット・ビー」があったことは覚えています。

そこで私は通夜の開式までの時間を利用して
ituneストアから上記の楽曲のピアノ演奏バージョンをダウンロードして、
故人の枕元でBGM代わりに流し続けました。

遺族の方がどなたかは気づくかもと思いましたが、どなたにも気づかれず。

故人だけが分かってくれている(はず)という状態で。

こういう控えめな行為は、自己満足的で日本人的過ぎると言われそうですが、
自分の中では美しいかなと思うのです。
いわゆる「感動的な演出」だと自己主張するのは、どうも性に合わないというか。
葬儀の場からできるだけ自分の存在を消したいのです。

ピアノ

葬祭業という仕事はやればやっただけ、
常にほめられるというものではありません。

そのご家庭の状況が悲惨であればあるほど、一生懸命にがんばっても、
ねぎらいの言葉一つかけられない
ということはよくあります。
遺族の方にそんな心の余裕がないのは当然です。

でもそんなときでさえ
誰にも感謝されないという事実を受け入れることができる自分に対する満足感
というものも、有るのではないでしょうか。

故人は分かってくれているはず!

っていう気持ちですね。


<2009年08月12日>記載