島田裕巳


お葬式の担当をしながら日々考えたことを書く葬儀屋さんのブログ。 葬儀費用が心配な方、 お葬式のマナーを知りたい方、 葬儀社への就職を考えている方、 是非お立ち寄りください。
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  • 最悪のエンディングノート発見!
  • 島田裕巳氏が出演したテレビ番組の感想
  • 島田裕巳「葬式は、要らない」の情報操作を指摘する
  • 「葬式は、要らない」島田裕巳氏のインタビューを読んで
  • 島田裕巳「葬式は、要らない」の誤りを指摘する

最悪のエンディングノート発見!

最悪のエンディングノートを発見しましたので、早速ご報告を。

エンディングノートの正しい選び方・書き方
という記事で
エンディングノートはたくさん出ているけど、
内容はどれもほとんどいっしょだから、できるだけ安いのを買いましょう
という主旨のことを申し上げました。

そのセオリーを打ち破る画期的なエンディングノートが登場しました。

空―幸福のためのエンディング・ノート 島田 裕巳 (監修)
島田さん、やっぱりあんたかい(-_-)

まず
ほとんどのエンディングノートがノート形式で厚さ1センチ未満であるのに対し
このエンディングノートはハードカバーで厚さが3センチ近くあります。

開いて書きこもうとすれば分かりますが、
ページが湾曲してしまうのでかなり書き込みづらい
中央の綴(と)じしろ付近に近づくと、
もう自分で書いたはずなのに識別不能な文字になってしまいます。


それにも関わらずなぜか、写経をやらせる・・・
そもそもエンディングノートで写経をやる意味が分かんねぇし
それでなくとも書きづらいって言ってんのに、
なんでこんな画数の多い漢字を書かなきゃならんのだ。

嫌がらせかよ。

最初の50ページは島田氏の文章で埋められていますが
それ以降の内容はスカスカ

だんだん書き込みの指示が投げやりになっていき
最後の
「自分で問いを作り、その答えを書いてみる」
っていう文章を読んだときは爆笑。

いらねぇじゃん、この本。
“o( ̄‐ ̄*) プルプル

もしかしてこのエンディングノートのタイトルって
空(くう)じゃなくて
空(から)って読むのでは・・・



当初自分の中で疑惑だったのが、最近は確信に変わりつつあります。
島田氏は
内容がなんであれ、大衆はバカだから買うさ、
と思っているのでは。

思い起こすのはオウム事件のときのバッシングのこと。
私はあのバッシングに関しては、島田氏は本当に気の毒であったと思うし
自分だったら悔しさと絶望で自殺してしまったかもしれない、とさえ思います。

そんな経験をした人が、もし大衆を、世間を、軽蔑するようになったとしても
私はそのことで、彼を責めることはできないです。

いままで、島田氏の「商売」のやり方を苦々しく思っていましたが
このレベルに達すると今はその姿勢に、
皮肉ではなしに、
清々(すがすが)しさすら、感じます。

この突き抜けっぷりは、たしかに
「空」
の境地かも。

こうなったら
このまま突っ走ってほしいです。

島田裕巳氏が出演したテレビ番組の感想

碑文谷創さんのブログで告知されていましたが
BSフジの「ライブ・プライム・ニュース」
3月19日(金)の放送に島田裕巳氏と碑文谷さんが出演されました。
ハイライト版は10日間のみネット上で見られます。
(ということは3月29日まででしょうか)

私の自宅ではBSは見られないので、ハイライト版を見た感想を。
(ハイライト版なので当然制作側の意向による編集が行われているのですが・・・)

見終わって最も言いたいことは
画面左の解説者の人は、
きっと鼻とヒゲが一体化したパーティー用眼鏡をかけているに違いない、
ということではなく(^^;)
碑文谷さんはがんばられたなぁ、と言うことです。

番組タイトルや司会者・解説者の態度から感じられる制作意図から考えて
完全なアウェイ状態の中で、
葬儀費用の話にしても、あれだけしゃべっていただければ、御の字です。

ハイライト版の最後の方で
「死なない」と書かれたボードを前に
自殺者は弱いという論理を展開する島田裕巳氏に、
この人の浅さというか無知を見ました。

結局その程度の理解で葬式を語っていたのか・・・

自殺者の葬儀を何度か担当した、人並みの感受性のある葬儀屋さんなら、
この発言が故人や遺族に対して、いかに失礼か分かるはず。
(参照ページ:自殺について

もし、碑文谷さんのブログのこの記事
抑圧された悲嘆
を読んだ上で言っているなら言語道断。
直後に碑文谷さんがヒートアップしたのもうなずけます。

いままでのこのブログの記事をお読みになった方は
(参照ページ:「葬式は、要らない」島田 裕巳 の誤りを指摘する
(参照ページ:「葬式は、要らない」島田裕巳氏のインタビューを読んで

一度ハイライト版でも良いので、一度ご覧になってみてください。

(2010/03/20)



島田裕巳「葬式は、要らない」の情報操作を指摘する

以前
「葬式は、要らない」島田 裕巳 の誤りを指摘する
という記事を書きました。
その際、国内の葬儀費用について
日本消費者協会のデタラメなデータを引用していることを
指摘しました。

それとは別の切り口で
「日本国内と海外との葬儀費用の比較」
に関する記述の検証
を行ってみたいと思います。

「葬式は、要らない」では、
海外の葬儀費用との比較に関して下記のデータが提示されています。

「日本の葬儀費用は231万円、イギリス12万3千円、ドイツ19万8千円、韓国37万3千円、 アメリカ44万4千円」

このあと日本の葬儀費用がいかに高いか、という島田 裕巳氏の論説が続きます。

上記の記事で
日本国内の葬儀費用のデータは間違っていることを指摘したわけですが
海外のデータは合っているのでしょうか。

このデータの出典は、
互助会のサンライフさんの資料
であることが表記されています。
そこでサンライフさんの総務部に電話して聞いてみました。

このデータはそもそも経済企画庁(現 内閣府)の依頼で、
サンライフさんが調査協力をしたそうです。

その調査結果は
経済企画庁物価局価格構造対策室のサイトに掲載されています。

島田 裕巳 氏が参考にしたのは上記ページのリンク先の
このデータだと思われます。

このページを見ると
島田 裕巳 氏が、自分に都合良く作為的にデータを引用していることに
気づくはずです。

本来このデータを使用するのであれば、
「日本国内の葬儀費用の平均は405万円(!)」
というべきでした。

物価は変動するわけですから、
同じ時期(1995年頃)のデータである405万円という数字の方が
比較対象として正確なはずです

それに日本の葬儀費用は405万円であると言った方が、
より島田 裕巳の主張(日本の葬儀は高額だから贅沢)に添うはずです。

それなのになぜ
彼は日本消費者協会の2007年の調査データを使用したのでしょうか。

それはこの405万円というデータは信用できないと
島田 裕巳氏自身が気づいていたからでしょう。

いくらなんでも、葬儀の平均価格が405万円というのはあり得ないです。
当時でも400万円を超える葬儀は社葬を含めて、1割もなかったと思います。
島田 裕巳氏がいくら世間をなめていたとしても
これはウソだと世間にばれてしまう
と思ったのだと思います。

(ちなみにこの405万円というデータは「くらしのとも」という一葬儀社の、
調査データを反映させたようです。)

であるならば
自国内の数字すら、大幅に間違っている調査なら、
海外のデータはもっと信用できない
と、
普通の人は考えるはずです。
そしてそんなデータは使わないか、
独自に自分で調べるのが正しい行動だと思います。

サンライフさんに、海外のデータの調査方法をお聞きしましたが、
「もう昔のことなので、どのような調査を行ったかは、わからない。
それに、そもそも葬儀の形態が違うのに、
このような比較の仕方は無理があると思う」
との回答でした。

しかし、島田 裕巳氏は、世間をだませそうな日本消費者協会のデータと、
15年前の調査データを組み合わせることによって、
「葬式は贅沢」と言い続けています。

別に海外より日本の葬儀が安い、というつもりはありません。
国内のデータは間違っていますが、
海外のデータは、もしかすると合っているのかもしれません。
(海外のキリスト教の葬儀は日本で言うところの直葬に近い形態なので、安価であるという意見もあります)

私がいいたいのは
島田 裕巳氏が学者のはしくれなら、事実をちゃんと調べるべきで、
作為的なデータの使い方はするべきではない

ということなのです。

あとこちらのページも併せて御読み下さい。
碑文谷創のはざまの日々
手抜きですか?島田さん


「葬式は、要らない」島田裕巳氏のインタビューを読んで

「葬式は、要らない」をお書きになった島田裕巳氏のインタビュー
東洋経済のホームページに掲載されたので
前回の記事(「葬式は、要らない」島田 裕巳 の誤りを指摘する
の続きを書いてみました。

細かいつっこみどころは飛ばして(^^;)本題へ

(島田裕巳氏のインタビューより引用・抜粋開始)
――葬祭業が機敏に動いているといわれます。
産業としての葬祭業というのは時代の変化への対応がつくづく早いと思う。
自分たちに入ってくるおカネが少なくなるに決まっている、
家族葬でも直葬でも積極的に取り入れる。
そこは割り切りが結構早くて、あまり躊躇がない。
普通の産業なら対象がこんなに変わろうとしたら抵抗すると思うが、
競争が厳しいのか、すぐに時流に乗ろうとする。
それが加速している要因でもある。
(引用・抜粋終わり)

そんなに葬祭業は機敏じゃないです。
というか、かなり鈍重(^^;)
そもそも直葬は、新開発した商品ではなく、ずっと前からどの葬儀社にもあり、
直葬を選ぶ消費者が増えただけです。
家族葬も参列者の減少により変動費(返礼品・料理)が減少し始めて、
結果的に葬儀費用が低下したのです。
ただ従来の密葬の呼び方を、消費者に分かり易いように
「家族葬」に変えただけ。
鈍重な証拠に、消費者は情報を欲しがっているのに、
まだホームページなどによる葬儀社の情報発信は貧弱です。
(参照ページ:葬儀社のホームページは質量ともに不十分である
そして葬儀費用以外に十分な差別化を打ち出すことに成功していません。
それが葬儀が低価格化している要因。
(参照ページ:下落し続ける葬儀費用の構造分析
結局この数年は外的要因で葬儀費用が下がったのに過ぎないのです。

人材の質は向上しつつありますが、
これは大手葬儀社を中心に人材教育を重点的に行い、
10年くらいかけてやっと今のレベルに持ってきたのです。
「葬儀屋のレベルは低い」という世間の評価を
それまで葬儀業界はずっとほったらかしにしていたわけです。
決して葬儀社の「時代の変化への対応がつくづく早い」わけではないと思います。

では次いってみましょう(^^;)

(島田裕巳のインタビューより引用・抜粋開始)
・一般には残される人たちに対して自分はこういうものを望むと示しておく。お任せなのか、ここだけは譲れないのか、話しておく。
・しきたりの世界ではなくて、個人化したらどうか。故人の希望となれば、家族だって尊重する。今の時代はしきたりに頼れるわけではなく、自分でやっていかなければならない。
(引用・抜粋終わり)

島田 裕巳氏が「葬式は、要らない」で述べている、
今の葬送儀礼のやり方を変えていこうという考え方に異論はありません。
むしろ賛成です。
しかし、前回の記事でも触れましたが、「葬式は、要らない」の中での
島田 裕巳氏の主張は宗教学者としてちょっと言葉が足りないというか、
ちゃんと結論をだしていないと思うのです。

しきたりは確かに煩(わずら)わしいものです。
しかし一方では、遺族の弔いたいという気持ちを処理するために、
形を変えて受け継がれてきた智恵としての機能があると思います。
宗教儀礼を含めたしきたりを信じることができた時代は、
それがグリーフワークの役目を果たしてきたのだと思います。

島田 裕巳氏は、しきたりを否定した次の代わりになるものは何か
を具体的に示す必要があるのではないでしょうか。
みんながみんな
しきたりは不要だから「直葬」で問題解決、
ってわけでもないでしょう。
(もちろん直葬だけでも、十分に弔うことができた、
と感じている遺族の方もたくさん見てきましたが)

島田 裕巳氏はちょっと葬儀現場の現実を軽く見ているきらいがあると思います。

葬儀の現場に身を置けば、「しきたり」を拒否して「個人化」することに、
旅立つ故人や遺族が
どれだけ多大なエネルギーを消費しなければならないか
が分かるはずです。
故人の希望を押し通すことが、
残された家族にとって重荷になるケースもたくさん見てきました。

葬儀の打合せの際、
「父が生前、坊主に金を払うのがイヤと言っていたので、
葬儀は無宗教葬でやりたいんですけど」
とおっしゃる遺族の方がいます。
故人と遺族の希望を最大限かなえるため、我々葬儀屋は動きます。
しかし
・菩提寺との今後の関係をどうするのか
・墓はどうするのか
・具体的にどのような内容の無宗教葬にするのか
・どうやって(既存の仏教を信じる)親戚を説得するのか
・その方法で関係者のグリーフワークはうまくいくのか
など解決しなければならない現実的な問題が山積みです。
結局、故人の遺志を生かすことができないケースがままあります。

葬式仏教を否定して自分自身の葬儀を「個性化」するためには
自分自身の宗教観、遺族の宗教観、社会的関係を
自分でコントロールするための、強い意志と理論武装が必要になります。

だから
自分の葬儀は菩提寺との関係を絶って、
この人とこの人を呼んで、
こういうスタイルで無宗教葬を行って、
最後はこの場所に散骨してくれ
というように遺族や関係者を生前に納得させて葬儀を行ったケースに出会うと
私は故人に対し尊敬の気持ちでいっぱいになるのです。

以前新興宗教の葬儀って「良いお葬式」になることが多い
という内容の記事を書いたことがあります。
(ちなみに島田 裕巳氏は新興宗教に関しては優秀な研究者だと思います。)
(参照ページ:新興宗教の葬儀からいろいろ考えてみる

これは故人の宗教観、遺族の宗教観、参列者の宗教観、宗教者の宗教観が
絶対的な信仰という盤石の関係性で構築されているからだと思います。
要は、みんなが同じものを信じているから、ということですね。
とはいうものの、既存の葬式仏教が気に入らないからといって
新宗教を信仰しようっていうのはちょっと現実的ではないでしょう。

繰り返しになりますが、既存の価値観を否定するならば
島田 裕巳氏は現実的な新しい価値観を提示する必要があるのではないでしょうか。

新しい方法論があるかのように見せておきながら、
いざというときになってから読者に挫折感を味あわせるのは残酷だと思います。
是非、島田 裕巳氏には、多くの人が納得できる次世代の葬儀の形を提示していただきたいと思います。


島田裕巳「葬式は、要らない」の誤りを指摘する

「葬式は、要らない(幻冬舎新書)島田 裕巳 」の批評を行いつつ、
葬儀費用に関する言論の問題点を指摘します。

(私のブログの他の記事をお読みいただければ分かりますが、
葬儀業界・仏教界の改革は今後も是非必要だと私は考えているということと
新宗教に関する島田 裕巳氏の著作には教わる点は多いと思っているということを最初に断っておきますね。)


葬儀費用について書かれた文章があったとして、
その文章が信用できるかどうかを簡単に見分ける方法があります。

それは
財団法人日本消費者協会の発表する「葬儀についてのアンケート調査」

のデータを引用しているどうかです。

このデータを引用している文章は、信じてはいけません。

この「葬式は、要らない」という本の主旨は
「葬式は贅沢だ」だから「葬式は、要らない」
という論理展開です。
そして、「葬式は贅沢だ」の根拠として
日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」を引用しています。

日本消費者協会の発表する「葬儀についてのアンケート調査」の数字は
統計と呼ぶにはあまりにもデタラメです。
その点についてはまず
マスコミが報道する葬儀費用のウソ 1
をお読みいただけますでしょうか。

日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」を引用するダメな書き手には以下の3つのパターンがあります。

そして島田 裕巳(しまだ ひろみ)氏には
今回それらのパターンが全部当てはまっているようです。

1 資料やデータの読み込みが甘い
「葬儀についてのアンケート調査」については、
日本消費者協会から調査書を取り寄せて目を通せば、
明らかにずさんな統計の取り方をしていることに気付くはずです。

またグーグルで「日本消費者協会 葬儀」と検索すると
このブログの上記の記事が5位と6位で表示されます。
(2010年2月13日現在)
このようにネットをちょっと調べても
日本消費者協会のデータがおかしいことが分かるはずです。

これらのことに気づかないということは、
適当に書き流している文章であるということです。

島田 裕巳氏は本書の19ページで日本消費者協会のデータを真に受けて
「東北の葬儀費用は四国の倍かかる」
と書いています。

そんなわけないじゃん(^^;)

前書きで「しきたりも現在では地域差がなくなり」って書いてるんですから
日本消費者協会のデータが間違っているのでは・・・
って思うでしょ。フツー。
素直なことはいいことですが、学者としてはダメでしょう。
過去に人を信用して苦労されているはずなのに・・・(>_<)

2葬儀業界を取材するというフィールドワークを行っていない。
日本消費者協会のデータを鵜呑(うの)みにすると
葬儀1件において葬儀屋がもらっている金額は
平均180万円ということになります。
しかしこんなに稼いでいる葬儀社は実際皆無です。
葬儀屋さんはうすうす日本消費者協会のデータが間違っていることに気付いています。
(ただ一部の悪い葬儀社が「ウチなら全国平均より安くできますよ」と
アピールするために日本消費者協会のデータを悪用しています。)
葬儀屋さんに取材を行えば、
日本消費者協会のデータを引用するような愚は犯さないはずです。

「葬式は、要らない」には
仕事柄普段から業界紙や葬儀関係の文献を読んでいるものからすると、
目新しいことはほとんど書かれていません。
それは、まぁこの本が初心者向けだから良いとして、
他にこれまで述べられなかった「新しい視点」を
何か書かれても良かったのではないでしょうか。
まだこの本(お坊さんが困る仏教の話)の方がおもしろいです。

資料の寄せ集めでなくフィールドワーク(葬儀屋さんや仏教関係者への取材)を行えば、もっと良いものが書けたと思います。

3本当は日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」が間違っていることにうすうす気付いているが、葬儀社批判の本を売りたいがため、あえて引用する。

悲しいかな葬儀屋はよく世間から叩かれます。
(参照ページ:なぜ葬儀屋は嫌われるのか
(参照ページ:葬儀は高いという問題と葬儀屋は嫌われるという問題を深く考えてみる
もちろんこれまでの葬儀屋の行いにも多くの原因があり、
それは深く反省すべきです。
しかし一方で葬儀屋を必要以上に悪者にし、消費者不安を煽り
本が売ろうとする輩(やから)がいます。
(参照ページ:気は確かか?週刊ダイヤモンド

要はもの書きの良心や誠実さよりも、
マーケティングを最優先しているということです。

「葬式は、要らない」の出版社は幻冬舎です。
幻冬舎社長の見城氏の著作を読むと幻冬舎はどの出版社よりも、「売れる」ことにこだわっているようです。

おそらく最初に
あの「島田 裕巳」にお葬式批判の本を書かせれば売れるんじゃないか
という編集サイドのマーケティングありきだったのではないでしょうか。
(実際、売れているようです)

もちろん商売ですから売れることを考えるのは大切です。

しかしこの本に書かれている、史実・視点・意見はほとんど過去に誰かが述べていることです。
それだけならまだしも、間違ったことが書かれています。

実際もう100万円を切るお葬儀は全然珍しくありません。
ことさら葬儀の実態からかけ離れた金額を持ち出して、
葬儀業界を非難するのはやめてください


以上が日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」のデータを引用する書き手の3つのパターンと
「葬式は、要らない」の批評です。

それからこの本の不満点をもう一つ。
(まだ言うか(^^;))

島田 裕巳氏の葬式仏教に対する考え方には私も多くの点で賛成します。
しかし葬式仏教を否定して、葬式を否定して、
そしてその先をどうするのかということについて本書であまり触れられていないのが不満です。
そこは自分で考えろということかもしれませんが
遺族の「故人を弔(とむら)いたいという気持ちの処理」に関してはほとんど述べられていません。
もちろん葬儀は遺体の物理的な処理だけでよい
という遺族に対してはこの本で十分でしょう。
でもそうではない方がほとんではないでしょうか。
お金の問題ももちろん分かりますが、心の問題はそれ以上に大切でしょう。
それについて(この本が初心者向けなら、なおさら)
もっと意見を述べるべきではないでしょうか?
島田 裕巳氏は宗教学者なんですから。



「葬式は、要らない」島田裕巳氏のインタビューを読んで
、に続きます。